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【書籍】過防備都市

五十嵐太郎著/中公新書ラクレ/2004.7/798円+税

 本当につくづくと、こんな社会に住んでるのがいやんなる。
 私は以前、監視カメラ社会について「エレベータで鼻くそもほれなくなる社会」って言ったんだけど(笑)、こんだけどこにでもカメラがあるなら、電車で化粧しようがどこでしようが同じだって気にもなるな。いつでも誰か(何か)に見られているってすごいストレスだと思うんだけど、そういう中で小さい頃から過ごす子どもたちってどうなっちゃうんだろう。驚いたのは、保育園の中もカメラがあって、それは保母さん(って今は言わないのか)が子どもたちをどう扱ってるか、親が携帯でチェックするため、っていうわけ。そりゃ虐待とか事故とか以前もあって、親が心配するのもわかるけどさ。何ちゃんがいじめた、とか見てるのね、職場から。もう少し大きくなった子どもたちは今度はGPS付きの携帯を持たされて、今どこにいるか親が自分の携帯でチェックするわけ。連れ去られないように、っていうんだけど、買い食いとか寄り道とか塾さぼりとか、全然できないわけよ。そうやって自分の何もかもを親に把握される子どもってどうなわけ? 私だったらストレスでおかしくなっちゃうよ。河合隼雄の『心のノート』ですでに内心の「秘密の小部屋」も否定された子どもたちに、これってたまらなくない? 
 以前、ベルリン在住で日独交流をやってる日本人から、「権力が一番最初に制限するのは『移動の自由』なんだよ」って聞いたことがあって、その時はピンとこなかったんだけど、最近実感するなぁ。でも今のやり方って、わざわざ「キレて暴れる子ども」を作ろうとしてるとしか思えないんだけどなぁ。

(「綾瀬川的生活」2004年9月19日)

*日記ページからの抜粋です

過防備都市 (中公新書ラクレ)Book過防備都市 (中公新書ラクレ)


著者:五十嵐 太郎

販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


【書籍】崩壊する映像神話

新藤健一著 ちくま文庫/2002.11/880円+税   

写真を撮る/見る/使う責任を振り返る

 本書は共同通信でカメラマンを長年務める著者が、自身の体験を交えつつ、写真や映像の持つ危うさを解明したものである。一九八六年の『映像のトリック』(講談社)に加筆したものなので、本論の部分はやや古い事例も多い。例えば有名な戦時中のプロパガンダ雑誌「FRONT」の航空機割増写真や「朝日新聞」のサンゴ事件、豊田商事、グリコ森永事件の「キツネ目の男」、越山会報の田中角栄リハビリ写真……。「いやあ、あったねえ、そういう事件」が満載である。それらを報道現場の目、写真を撮る側の目で解いていくのだから、実におもしろい。が、おもしろいとばかり言っていても紹介にならないので、いくつかの論点をあげておく。

 「ヤラセ」について。川口探検隊(懐かしい!)に代表されるドキュメント・バラエティなるものについては、「ヤラセじゃない」とどの程度の人が思っているかの方が問題だろうとは思う。むしろ「ヤラセだ」と思いながら楽しむ作風を日本中が身につけてしまったことが怖い。

 軍事写真について。偽の衛星写真の話がここでは取り上げられているが、個人的には非常におもしろかった。アフガン戦争でも北朝鮮核施設でも「衛星写真」なるものはずいぶん出ていたが、「衛星からここまで見えるんだ、すっげー」とついだまされてしまいがちな昨今、分解能などの知識は覚えておこう。

 そして、被害者の写真について。
 事故でも戦場でも、悲惨な状況を前に、シャッターを切るのかどうするのか。

「……サリドマイド児の写真なくしてサリドマイド禍は伝えられない。ケロイドや黒コゲの焼死体写真なくして広島、長崎の惨状は伝えられない。しかし、いたずらにセンセーショナルであることだけを狙った写真は、伝えることにどんな意味があるのか。……安易な方法でセンセーショナルな部分だけを狙えば、必ずその取材に規制がかかることになる」。著者は死体の写真を撮りたがったり、大勢の報道陣が殺到して混乱が生じたりする事態に対し、「いつまでも自ら首を絞めるようなバカげた取材を続けるならば、いずれ自らの表現の自由を放棄することにつながるのだ、ということを肝に銘じるべき時である」と、それらは実際に、メディア規制三法案にその隙を与えているのだ、と警鐘を鳴らす。

 その一方で、彼はロンゲラップ島で、核実験の後遺症として「奇形」を持って生まれた子どもを前に躊躇する。撮るべきか、撮ってはいけないのか。公表すべきなのか、否か。

 同様の思いは例えばイラクで劣化ウラン弾の後遺症の取材をしてきた人たちからも聞いた。そしてその写真を使って街頭情宣を行なう私たちもまた、その迷いを共有する。わかりやすい写真、人目を引く写真。情宣を行ないながらふと、自分たちはこの人たちの不幸を利用しているのか?との思いがよぎることもある。とにかくこの状況を見て、知って欲しい、止めるための何かをして欲しい、との思いで写真を掲げる。そうすることで、写されたこの人たちに、私たち自身がいくばくかの責任をとるのだ、と私は思う。ほかに方法も思いつかないのだから。「残酷な写真を出すと人が引いてしまう」とかいう話ではなくて。

 かつて写真やビデオというのは、有無を言わさぬ証拠だった。それがもはや証拠としての意味をなさなくなっていることを確認しつつ、そこから読みとれるだけのものを読みとる力をつけることもまた、情報に惑わされないために必要になったのだと、あらためて思う。

初出:「市民の意見30の会・東京ニュース」76号(03.2)

【補】古巣の団体にものすごく久しぶりに書いた原稿。ちなみに「東京ニュース」ではなく、「……・東京」までが団体名です(どーでもいいが)。「分解能」というのは、例えば「15cmの分解能」というと、15cmの物を1ドットとして認識できる能力のこと。だから「15cmの物まで判別可能」という表示は、「そこに15cmの物が存在することがわかりますよ」ということで、その物が何かまではわからないわけです。親本が書かれた86年の段階で、アメリカの偵察衛星の分解能は14cmと言われていたそうですが(無論正式には機密事項)、あれから20年近く経ってるから今はどうなんだか。ただ衛星写真については「そんなもの公表したら衛星の性能がわかっちゃうじゃん」ということで、表に出ないのではないかというのが著者の意見。自分でもphotoshopとか使って思うけど、写真ももはやそれ自体だけでなく「誰がどこでどのように撮ったか」まで考えないと、結構足元すくわれる気がします。最近はダンナのおかげで「どっからどー撮ったんだよ」ってのがずいぶん気になるようになりましたが。この手のトリック写真で一番「すげー」と思ったのは、別の本に出ていた文化大革命当時の「子どもが乗っても倒れない稲穂」ってヤツだな。無理ありすぎ。「ゾウが乗っても……」。(04.8)

【書籍】戦後世代の戦争責任

田口裕史著 樹花舎/1996年8月/1500円+税  

「非道な事実そのもの」に真面目に向き合う本

 「田口さんはまじめだなぁ」。嫌みでなく、素直にそう思った。この本の中でも幾人かが漏らしているが、私もまた、「戦争責任をうやむやのままにしているということにおいて戦後責任を負っている」と単純に割り切ろうとし、そうすることによって戦争責任と自分との直接の関係を問うことを保留し続けてきたクチだったから、彼の、戦争責任と真っ向から向かい合い、解きあかそうとする姿勢に素直に感心してしまったのだ。

 本書は1963年生まれの著者が、「戦後世代」にとって「戦争責任」とはどのようなものなのか、罪と責任について、謝罪と反省について、「責任」という概念自体の分類・整理をしながら緻密に論じたものである。ちょっと理論的過ぎるかな、と思うところもないではなかったが、戦後補償運動を担うなかで直面する様々な問いかけに対して、いわば「走りながら考えた」これらのことは、いくつもの手がかりを含んでいる。

 著者は「戦後世代」を「私とその同世代およびそれ以降の人間」と定義づけている。一般的に使われている範囲設定ではない。しかし、「はじめに」の冒頭に書かれている文章で、著者と同世代の私には腑に落ちるものがあった。

 「子どもの頃の私にとって、戦争とは、映画やテレビ画面の中に存在するものでしかなかった。ベトナム戦争に関わる記憶も、かすかに残ってはいるが、とうてい『自分のこと』であったとは言えない。/だから私は、同世代の多くと同じように、戦争から遠く離れて生まれて育っている」

 かつて「戦争を知らない子どもたち」を歌った世代(全部とはいえないまでも)はリアルタイムのベトナム戦争と向かい合った。けれど、「戦後の混乱」もGHQも朝鮮戦争もベトナム戦争も「自分のこと」ではなかった世代の「戦争」というもの——「アジア・太平洋戦争」だけではなく一般名詞の戦争をも含めた——との距離感を、著者の定義は表しているように思う。この距離感から派生するものは様々だ。本書の冒頭で検討される高市早苗議員の発言も、現在論議されている藤原信勝の「自由主義史観」なるものも、それと無縁ではない。藤岡自身は戦中生まれであり、その支持者も「戦後世代」ばかりではないが、彼の「日本人であることに誇りを持てるような教育を」という主張とその根拠とする若者たちの姿は、そこを突いている。

 この「戦後世代」たちは、直接の戦争の当事者でなく、被害の経験すら持たないゆえに、日本のおかした(戦争)犯罪を認め、追及していくことができる、と可能性を込めて言われたこともあった。同時に、藤岡式に言えば自国の歴史に誇りを持てずにしょぼくれている若者でもある。私の実感では「戦争だから仕方ないじゃん」と「見るとかわいそうだから見ないの」とが双璧だ。どっちみち「他人事」でしかない。

 藤岡は、日本近現代史の前に後込みする人々に、歴史の臭いものにふたをし、明治期の評価を「修正」することで、「日本人としての誇り」を取り戻そうと言う。昨年末、著者を招いて行なわれた討論集会でも、「日本人としての連続性」は論点のひとつとなった。田口は「罪」と「責任」、本書で言えば「罪に近い責任」=直接の行為と「義務に近い責任」=主権者としての責任とを整理し、議論を明確化している。そして「反省」を「その過ちがどうして行なわれたのかを検証し、繰り返さないための方法を探る」(実際にはもっと細かく定義づけられているが、うんと端折っていえば)と定義づけ、「謝罪」と区別することによって、自ら(と「戦後世代」)に引き寄せている。また「日本人だから罪がある」式の論議、その裏返しである「戦後補償によって日本人としての誇りを」という論議に対しては、民族主義の落とし穴に陥る可能性を指摘する。その上で彼自身は、戦争責任があろうがなかろうが「行なわれたことが非道だから責任を担う」ことを根拠とし、人間として「非道な事実そのもの」に向き合い、それを自らのこととして「反省」していく方法を探ろうとする。その作業は、藤岡の言う「自虐」とは全く反対のものである。

 本書を書いている時点で、著者に「自由主義史観」なるものへの明確な意識があったかどうかは、時間的にいってわからない。が、意識的にかどうかはともかく、それを撃ち崩すための様々な示唆が、本書には盛り込まれている。今回、全く偶然に藤岡の著書と平行して本書を読み返しながらそう思った。

 また、運動とは関わりのない同世代の友人と話すときに私が時折感じるいらだちめいたものと、ある種同質な感情を著者も持ったことがあったのだろうと思わせる箇所もいくつかあった。本書全体が、「戦後世代」の持つ戦争あるいは「戦争責任」との距離感、さらにはささやかな異議申し立てを含めた「運動」との距離感を埋める試みともいえるのではないだろうか。

 本書の後半には、彼が実際に関わっている朝鮮人BC級戦犯を支える運動の中での体験、当事者の人々や韓国の若者との交流、「戦後50年」の年にイギリス、ドイツを訪れた際の報告などが載せられており、どちらも「戦争責任」を考えるうえでの手がかりとなる。巻末にはテーマ別のブックガイドがあり、結構便利だ。

 蛇足ながら、本書の出版後、さる新聞で田口と高市の公開往復書簡が企画され、実際に何度か書簡のやりとりがあったそうだ。残念ながら企画自体がボツになったそうだが、これもぜひ読みたい。

初出:「月刊フォーラム」1997年4月号

【補】最近のいろいろをみるにつけ、今こそこの本が必要なんでないかい? と思って取り急ぎ、アップしました。田口さんのサイトもなかなか資料充実です。藤岡本人は最近聞かないけど、自由主義史観グループは、今度は「沖縄の集団自決はまぼろしだった」とか相変わらず元気にやってるし。

Book戦後世代の戦争責任

著者:田口 裕史
販売元:樹花舎
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【書籍】女たちの<銃後>

加納実紀代著 インパクト出版会/1995年8月  

自分を見直してみるきっかけに

 集会でも投書でも、共感できないなぁ、という種類の発言のひとつに、「男が起こした戦争のせいで、いつも女と子どもが被害者になる」というものがある。大枠そうなんだろうと思うのだが、違和感が残ってしまう。大概の戦争は男が起こす。男が権力者だからだ。逆にいえば、女は戦争を起こすような権力を手にしたことが少ない、ということだろう。「女の本質として戦争を起こすことはない」と同じ女から言われると、ちょっと待てよ、と思ってしまう。

 それでは女たちは銃後をどのように生きていたのか。本書は、第一章「銃後への胎動——一九三〇年代の女たち」、第二章「銃後の組織化——国防婦人会を中心に」で銃後へと向かう女たちとその社会背景を、第三章「それぞれの銃後」、第四章「銃後のくらし」で文字通り女たちの銃後を、第五章「女たちの八月十五日——銃後の終焉」で敗戦後の女たちを描いている。そこには様々な女たちが現れる。皇国史観を説いた女もいれば、中国に渡って日本の侵略と戦った女もいる。そして生活の中に入り込んでくる戦争にからめとられていく多くの女たちがいる。中でも私が印象深かったのは、国防婦人会の活動(後には大日本婦人会)を担い、「輝いていた」女たちであった。彼女らが「自主的に」生きた銃後は戦争における女の役割を現出しているし、何より私がその時代にいればそう生きただろう姿でもあるからだ。

 十五年戦争開始直後(象徴的な時期だ)、夫の出征前夜「何卒後の事を何一つ御心配御挫居ますな」との遺書を残して自害した井上千代子という女性がいた。この事件は「武人の妻の鑑」「昭和の烈婦」として有名だが、「夫婦仲もいいように見えなかった」千代子の自害は「夫の『後顧の憂』をたつための『昭和の烈婦』の自刃、とのみは考えにくい」(第二章)という。国防婦人会のその後の役割を考えるとき、発端となったこの事件の真相はもっと明らかにされてもよいと思う。

 この事件に触発された女性、安田せいの奔走で国防婦人会は発足し、軍部の後援を得、日本中の女たちを巻き込んで、思想戦・経済戦を戦う母体となっていく。国防婦人会の成長の原因を著者はそれぞれに検討しているが、これを「婦人の解放」と捉えた婦人運動家たちと、もっと単純に「解放の気分」を味わい、活動にうちこんだ女たちの自発性・積極性は見過ごせない。

 婦人会に見送られ、出征した兵士の一人はこう述懐する。「ひどいなあ、女は。あんなにやさしげな美しい顔をして、男を死地に追いたてるんだから……」(第二章)。情報の(種類の)少なさ、ある種の純粋さと「台所からの解放」感とが大きな落とし穴となって、彼女らは自ら「思想戦」を担い、戦わされていた。しかし、その時代を苦い思いで振り返る人がいる一方で、今なおその時の充実感を「『わが生涯最良の思出』として胸に暖めている女たちも多い」(第二章)となると、時代の女たちに課した重圧と、そのはけ口ともなった婦人会の役割の大きさとともに、自らの歴史をみつめることの重要性をあらためて感じる。

 それにしても、五〇年(以上)前と現在と、本質的にはたいしてかわっていないのかなと、本書を読むと思ってしまう。

 たとえばマス・メディアによって流される等質な情報。相変わらず権力のよしとする言論を大量にふりまいているさまは、今年のオウム真理教をめぐる報道で、あらためて明らかだ。その情報の中にはもちろん「おカミに協力するよい市民」像も含まれている。「おカミに都合のよい(安全)な運動」に流れていく傾向をさらに内包して。

 また、「女子の労働市場への参加」のために動員強化を進める婦人運動家らの活動は、結果的にせよ、現在の企業社会を支える「男並み労働」をすすめる「雇用均等法」を思い出させる。動員によって得た女性の職場が、復員してきた男性たちによってまた奪われていくのも、バブル時に生産力を補い、不景気になると解雇される女性パートを彷彿とさせる。平等を突き詰めていった先に、現在の婦人自衛官の増加が、そのもっと先に、たとえば女性にも適用される徴兵制や女性の天皇があるとすれば、やっぱり何か見落としているものがあるのではないか。

 さらに「革新っぽい軍部」への支持も人ごとではないし、街頭で服装に目を光らす婦人会の、「おカミの意向」「みんないっしょ」からはみ出たものへの排他性はまったく変わるところがない。

 何を根本に据えた解放であるのかが、この時代の婦人運動家あるいは女性一般に、問われるべき問題だった。それは現在の私たちにも同じに突きつけられている。足元をすくわれない運動をどのように組み立てるのか。ひとつのテーマを追いかけるときに、見落としている原則はないのか。無自覚なままに加害者の側に組み込まれてはいないか。

 本書は筑摩書房より一九八七年に刊行された同名の本の増補版である。九〇年代に入っての「従軍慰安婦問題」の急浮上から細川首相の「侵略戦争」発言などの動きの中で、著者自身が一度は「役割を終えた」と思った(「あとがき」)この本の再刊は、さらにその後の敗戦五〇年をめぐる状況を経て、もう一度自分自身を見直してみるためのひとつのきっかけを与えてくれる。

初出:「月刊フォーラム」1996年1月号

【補】そして敗戦60年をめぐる状況を経て、あああやんなっちゃったのだった。デビューの頃の書評です。なんか初々しいねぇ。とはいえ、状況は本質的にかわってないばかりか、どんどん悪くなってるねぇ。細川首相なんて人も、もはや胚芽米を売る工芸家だもんねぇ。(04.11)



Book

女たちの「銃後」


著者:加納 実紀代

販売元:インパクト出版会

Amazon.co.jpで詳細を確認する

【書籍】女がヒロシマを語る

江刺昭子・加納実紀代・関千代子・堀場清子編 インパクト出版会/1996年8月  

「母性を越える」ことの困難さ

 「女がヒロシマを語る」と題されたこの本は、帯に「母性神話を越えて」とある。全編を通して、残念ながら、その試みは散見するものの、未消化に終わっている感を拭えない。

 構成は大きく三部。まず、「ヒロシマをめぐるディスクール」として、三人の文学者について(「大田洋子再読」江刺昭子、「栗原貞子の軌跡」石川逸子、「原爆歌人正田篠枝とわたし」古浦千穂子)と映画「黒い雨」「夢千代日記」の考察(「映画に描かれた女性被爆者像」マヤ・モリオカ・トデスキーニ)。次いで「少女にとってのヒロシマ」として、毒ガス島に動員された体験(「もうひとつのヒロシマ」岡田黎子)と、戦後ヒロシマの女学校について(「なぜ女学校は消えた?」関千枝子)。そして「ダンス・モノローグ ヒロシマのボレロ」(村井志摩子)をはさんで、この本のそもそものきっかけとなったシンポジウム「女がヒロシマを語る」の採録(「すべての人に伝えたい」堀場清子、「原爆災害と女性」関千枝子、「女がヒロシマを語るということ」加納実紀代)である。

 著者のそれぞれが、今まで「女性」の視点で被爆体験が語られてこなかったこと、語られた場合も「母」の心情あるいは「母になり損なった」とものとしての「原爆乙女」の悲劇が強調されすぎた傾向のあること、「母」の立場と「女性」の立場には自ずから違いのあることなどを意識しながらも、もう一歩踏み込めていないようだ。

 「女性とヒロシマ」というテーマが母性中心にならざるを得なかった理由のひとつには、女性=母またはその予備軍という価値観がある。それは書き手の側だけでなく、被爆者の側、とりわけ被爆した時点である程度の年齢に達していた女性を考えた場合、結婚して母となることが女の人生であり、幸せであるというその「常識」を、彼女らの多くも疑うことなく受け入れてきただろう。もちろん、それに対しての現在からの批判は必要である。しかし、そのような価値観で生きてきた以上、自分の考えていた「(女としての)幸せ」を奪われたという悲劇性が強調されることはやむを得ないだろう。そして何より、「母モノ」はわかりやすいのだ。関のいうように「父性無視」であったとしても。

 また、「女性」というものの規定も、「母になるもの(母性)」「母になる機能を持つ者(産む性)」とされながら、「母にならない者(母性からの逸脱)」を想定し、また「母になる機能を持たない者(産む性からの逸脱)」をも考えねばならない。「女性の視点」そのものが、一つのようでいて、多様にならざるを得なくなってくる。そこから来る曖昧さが、「女性」と「母性」との関係のそれでも現れてくる。女性を「母」「産む」「いのち」というキーワードで捉える以上、その曖昧さからは逃れられないだろう。さらにそしてそれは、今の多くの「女性と○○」を語る際の、切れ味の悪さにつながっている。

 「母性」より広い「女性」を考えるということでは、岡田黎子の女学生動員の記録や、関千枝子の二本のレポート(補論「『白い閃光 黒い雨』について」を含めて三本)は興味深かったし、堀場清子の文中に触れられている、助産婦らを動員して行われた遺伝調査の実態(調査結果というよりその過程)については、もっと踏み込まれ、広く問題にされるべきだろう。戦後、被爆した女性一人ひとりがどのように生きたか、生きねばならなかったか。「母性神話」から脱却できなかった者、脱却していった者、あるいは脱却せざるを得なかった者をも含めて、彼女らをとりまく戦後社会そのものが、検証されなくてはならない。被爆後五一年を経てなお、語られ、開かれ、掘り下げられなければならないことの多さを感じる。

 そのような意味でも私には、被爆体験を持ち、あるいは間接的に関わり続けた女性達の生き方の方が印象に残った。「被爆」と一口に言いながらも、その多様性とでもいうのか、大きなくくりでは「同じ体験」でありながら、生活の場所、年齢、家族たち……、状況によってまるで違う体験であるという、当たり前の不思議さがそこにはある。取り上げられた三人の文学者はもちろん、この本の著者や彼女らをとりまく人々の人生そのものが、「女性と原爆」というテーマを表しているようにも思う。具体的な、生の体験というものの強みなのだろうか。その個別の体験を、社会的な状況、特に被爆者、あるいは女性になされた政策と付け合わせていくことによって、「女性と原爆」の実像が見えてくるのだろう。また、そうして一人ひとりの具体的な生き死にを明らかにしていく作業を通して、数値ではない、原爆被害の実相を描き出すことができるのではないか。そのことは、この本の主題からは多少ずれるが、虐殺と虐殺を数で置き換えて相殺していくような論理や、全ての「戦死者」をひとくくりにしていく論理に対抗する力となるだろう。

初出:「月刊フォーラム」1996年11月号
 
【補】わー、もう10年も前の原稿かい。とはいえ、余り自分でその後の進歩を感じないような=つまり言っていることに変わりがないような気がするのはいいんだか悪いんだか(笑)。年を取って、「フェミニスト」とはますます距離が開いていったとはいえる。この「女性と○○」については厳しくなったな、我ながら。この頃から私は、一人ひとりの人生というものに、とりわけその選択に興味を持っている。ほんの一瞬の選択が大きく人生を変えてしまう。それが極端に現れるのが戦争という現場なのかも知れない。

女がヒロシマを語るBook女がヒロシマを語る


販売元:インパクト出版会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

【書籍】反戦と非暴力——阿波根昌鴻の闘い

亀井淳著 高文研/1999年2月/1300円+税 

闘いの現場から生み出された「人間」の記録

 阿波根昌鴻という人は、不思議な人だ。私自身じかにお目にかかったことはないのだが、それでもトリコになっちゃった(死語だなぁ)一人である。96年の5・15、嘉手納での行動を終えた翌16日、まったく唐突に決めて伊江島へ出掛けたのだが、直前に読んだ『米軍と農民』の、あらゆる意味でスゴイ彼らの闘いと、阿波根のキャラクタ−にすっかり魅せられてしまったのである。

 阿波根には先行して3冊の著作(『人間の住んでいる島——沖縄・伊江島土地闘争の記録』1982年私家版、『米軍と農民——沖縄県伊江島』1973年岩波新書、『命こそ宝——沖縄反戦の心』1992年岩波新書)があるわけだが、「あとがき」で亀井自身が述べているように、この本はそれらの再編集でもあり、昨年末より上映されている映画「教えられなかった戦争・沖縄編——阿波根昌鴻・伊江島のたたかい」(不満はあるものの、阿波根の独特の口調や仕草に触れるためにも機会があったら観てほしい)の制作中の資料をもとに企画された。1903年生まれの阿波根の生い立ちから沖縄戦、戦後の伊江島での土地闘争を、阿波根の記録した写真を多用しながら追っている。

 彼らの闘いから学ぶことはいくらでもあるが、今映画をも通して再認識するのは、「闘いを記録する」という姿勢である。米軍上陸前からメモをとっていたという阿波根は徹底的に闘いを記録する。1953年9月、米軍が伊江島に「交渉」に来たばかりの頃からの克明な「メモ」と、1955年からは当時たいそう高価であったカメラとを使って。1959年、闘いの中心でもあった二人の青年が、不発弾をスクラップにして生活の費用とするための解体作業中に爆死する。その時も阿波根はカメラを持って現場に走り、彼らの最期を記録する。「見るも無残な姿でした。……わたしは、これでたたかいはおしまいになるのではないかとさえ思いました。……わたしは悲しみをこらえて、写真をとりました。アメリカは、証拠がないと納得しない」。記録は初めは米軍の「嘘」に対抗する手段であり、真実を訴えるための「証拠」であったろう。それはやがて沖縄本島へ、「本土」へと伊江島の実態を訴え、支援と連帯のを拡げるための「武器」ともなった。そして何十年かを経た今、阿波根がある時は悲しみを、ある時は怒りをこらえて残した記録は歴史となり、さらに現在への連続性をもって私たちの心をかきたてる。

 本書からは脱線するが、阿波根の記録癖(?)はそれに留まらず、「現物」をも収集し始める。それが彼の反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」の展示品の数々だ。島の人たちが拾った米軍の物資(模擬ミサイルから衣類まで)、生活用品にプラカードなど、「集めるというのは、一つの楽しみでもありますよ」(『命こそ宝』)と阿波根自身も述べているが、ここまで徹底した時にもつ力というのは凄いものだ。

 「記録」への姿勢と同時に、この本の主題であった「非暴力」という思想そのものも、観念として先にあったのではなく、米軍の圧倒的な暴力と、抵抗を口実にした弾圧、「見る人も聞く人もいないとき、この離れ小島の伊江島で殺されたらおしまいだ」という、闘いの現場から必然的に生まれ、練りあげられたものだった。それゆえに持つ強さとしなやかさとを、もう一度かみしめてみたい。

 72年の「復帰」以降現在まで、またパラシュート訓練の受け入れにまでいきついた伊江村そのものと阿波根たちの関係についてはもっと触れられてよかっただろう。阿波鴻自身が高齢であって取材が不可能であるということを差し引いてもかなり残念な作りの本である。島の「外」の者である亀井が、1998年という今だからこそ迫れたものがそこにあったのではないか。『米軍と農民』と『人間の住んでいる島』が入手困難な今、本書の意味もあるとしても。

初出:「派兵チェック」80号(99.5)

【補】阿波根が自費出版した写真集には『人間の住んでいる島』というタイトルがついている。「人間とはどういうものか教えてやろう」(『米軍と農民』)という阿波根の、気骨がそこに現れている。「人間の住んでいる」という宣言は「軍用地を生産と生活の場に」という反戦地主たちの共通の想いでもある。で、この「手を耳より上に上げない」に象徴される「非暴力」の闘いが、辺野古で行なわれています。座り込みテントの中に、阿波根の遺影をかかげて。ついでに、この後、『人間の住んでいる島』とは別に、彼の写真集が出たと思う。

反戦と非暴力―阿波根昌鴻の闘いBook反戦と非暴力―阿波根昌鴻の闘い


著者:伊江島反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」,亀井 淳

販売元:高文研
Amazon.co.jpで詳細を確認する


綾瀬川的格納庫へようこそ

 主に、雑誌・ミニコミ等に載せた文章と、過去の日記の中から多少まとまった紹介文、長めの書き下ろし、観た舞台のキャスト表などを載せてあります。日々の読書や舞台の断片的な感想については「サイト内MENU」の「綾瀬川的生活」またはついったーをご覧下さい。

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【書籍】日中戦争・哀しい兵隊——父の記憶をたどる旅

加藤克子著 れんが書房/2002年5月/2500円+税  

どこにでも生活はある、のだ。活動家にも、中国にも、イラクにも。

娘が父親の遺した「戦場日誌」を元に「戦場の父」と「父の戦場」を考え、調べ、そして中国の現地を旅する——一言でいってしまえば、そういう本である。しかしその「娘」がご存じ、立川自衛隊監視テント村の加藤となれば、ひと味もふた味も違う、父への旅であることは保証済みだ。

 前半は「戦場日誌」を読み続ける加藤の日誌。2000年3月、国立の「日の丸・君が代反対デモ」への参加とその感想から始まる。

 反戦・憲法・反「日の丸・君が代」の運動と、母との食事や旅行、畑(砂川の自主耕作地)の世話や親しい人々とのやりとりといった流れるような、それでいてやはりいとおしい日常。それらと「戦場日誌」を読み込み、その歴史的な検証を試みる作業とが不可分のものとしてあるのが読みとれる。よく「運動をしている人」と「普通の人」という二分法が用いられ、私たちもまたそういうふうにしがちなのだが、決してそうではないということも加藤の日常を読むうちにわかる。 

 せっかく、今頃になってこの本を読んだのだから、現在の状況とかかわって感じたことを書いてみよう。

 本筋とはあまり関係がないが、当時の日本政府と軍の中国への態度である。日本政府は37年12月に「近衛声明」つまり「帝国政府ハ爾後国民政府ヲ相手トセス」を出している。南京戦の直後である。加藤はこの近衛声明の「補足的声明」を引いて、「湾岸戦争以降、イラク大統領暗殺をも企て、「悪魔のフセイン」を抹殺しようとやっきになっているアメリカを彷彿とさせる文面である」としている。この本の元となった日記が書かれたのは2000年の3月から6月にかけてであるから、イラク攻撃はおろか9.11事件も起きていないのだが、現状はまったく「彷彿とさせる」ものだ。火野葦平の『煙草と兵隊』をめぐって。

 「日本軍は、「相手とせず」と宣言した相手の首都を落とした、国民政府の「抹殺」は済んだという立場だ。残る戦争は「残敵掃討」と「匪賊討伐」だけである」

 もちろん、イラクと当時の中国ではまったく状況が異なる。この頃の中国には、日本が否定した国民党も共産党も確固としてあり、温存兵力で遊撃戦を戦っていた。しかし、ブッシュの戦闘終了宣言以降、イラクでの「残敵掃討」と「匪賊討伐」とがもたらした状況とつい重ねてしまう。アメリカは成功例としての「日本型占領」を目指したが、中国での泥沼の日本と同じ状況になりつつあるのではないかと考えてしまう。そのバックにあるのは、やはり優越感(民族的というより所属国家への)とその裏返しの侮蔑感、相手への侮りである。「膺懲支那」というスローガンは、「支那」の部分を変えればそのまま対テロ戦争のスローガンになる。

 最後に旅が終わり、中国側の資料を読みながら、加藤は再び「日の丸」を考える。

 「しかし、人は自分の行為の意味を求めるものだ。そして戦友の死や郷里に残された家族の困窮を意義づけようとするとき、兵士たちの脳裏にうかんだのは「天皇」であり、「大和民族」であり、それらを凝縮して表現している「日の丸」でしかなかった。「日の丸だけが頼りである。日の丸のために死ぬなら本望だ」そう信じるしか術はなかった/……人をここまで追いつめる国、日本とはなんだろう?/……父にとって日の丸を掲げることは、失われた彼らの生を慰謝する表現だったと思う。貧しい、悲しい表現である。父がぬけ出ることができなかった戦争の後遺症の痛ましさを、いま痛切に感じることができる」

 「好戦的な皇軍兵士」であり、家長の威厳を守り、祝祭日に日の丸を掲げ、慰安所にも行ったであろう父を愛しながら、反戦・反天皇制・戦争責任追及の運動を続けることもまた可能なのだと、そういう回路の存在を、この本は教えてくれもする。

 そして加藤が闘っている「日の丸」。現実に卒業式で掲げられ、私たちの日常に侵入してくる「日の丸」。父の「日の丸」とそれが地続きのものであることは、本の前半部でも浮かび上がってくる。今「日の丸」を国が必要としている。何のために?

 そんなことをつらつら思いながら読んでいたら、加藤が想起する「母の口癖」が、私にも聞こえてくるようになった。

 「克子、どこにでも生活があるな」

 そう、どこにでも生活はある。それが本当にわかってさえいれば、空爆なんてしない。まして劣化ウランなんて落とさない。何気ない「母の口癖」は私の中で響いている。 

初出:派兵CHECK No.133(2003.10)

日中戦争・哀しい兵隊―父の記憶をたどる旅Book日中戦争・哀しい兵隊―父の記憶をたどる旅


著者:加藤 克子

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