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【書籍】女がヒロシマを語る

江刺昭子・加納実紀代・関千代子・堀場清子編 インパクト出版会/1996年8月  

「母性を越える」ことの困難さ

 「女がヒロシマを語る」と題されたこの本は、帯に「母性神話を越えて」とある。全編を通して、残念ながら、その試みは散見するものの、未消化に終わっている感を拭えない。

 構成は大きく三部。まず、「ヒロシマをめぐるディスクール」として、三人の文学者について(「大田洋子再読」江刺昭子、「栗原貞子の軌跡」石川逸子、「原爆歌人正田篠枝とわたし」古浦千穂子)と映画「黒い雨」「夢千代日記」の考察(「映画に描かれた女性被爆者像」マヤ・モリオカ・トデスキーニ)。次いで「少女にとってのヒロシマ」として、毒ガス島に動員された体験(「もうひとつのヒロシマ」岡田黎子)と、戦後ヒロシマの女学校について(「なぜ女学校は消えた?」関千枝子)。そして「ダンス・モノローグ ヒロシマのボレロ」(村井志摩子)をはさんで、この本のそもそものきっかけとなったシンポジウム「女がヒロシマを語る」の採録(「すべての人に伝えたい」堀場清子、「原爆災害と女性」関千枝子、「女がヒロシマを語るということ」加納実紀代)である。

 著者のそれぞれが、今まで「女性」の視点で被爆体験が語られてこなかったこと、語られた場合も「母」の心情あるいは「母になり損なった」とものとしての「原爆乙女」の悲劇が強調されすぎた傾向のあること、「母」の立場と「女性」の立場には自ずから違いのあることなどを意識しながらも、もう一歩踏み込めていないようだ。

 「女性とヒロシマ」というテーマが母性中心にならざるを得なかった理由のひとつには、女性=母またはその予備軍という価値観がある。それは書き手の側だけでなく、被爆者の側、とりわけ被爆した時点である程度の年齢に達していた女性を考えた場合、結婚して母となることが女の人生であり、幸せであるというその「常識」を、彼女らの多くも疑うことなく受け入れてきただろう。もちろん、それに対しての現在からの批判は必要である。しかし、そのような価値観で生きてきた以上、自分の考えていた「(女としての)幸せ」を奪われたという悲劇性が強調されることはやむを得ないだろう。そして何より、「母モノ」はわかりやすいのだ。関のいうように「父性無視」であったとしても。

 また、「女性」というものの規定も、「母になるもの(母性)」「母になる機能を持つ者(産む性)」とされながら、「母にならない者(母性からの逸脱)」を想定し、また「母になる機能を持たない者(産む性からの逸脱)」をも考えねばならない。「女性の視点」そのものが、一つのようでいて、多様にならざるを得なくなってくる。そこから来る曖昧さが、「女性」と「母性」との関係のそれでも現れてくる。女性を「母」「産む」「いのち」というキーワードで捉える以上、その曖昧さからは逃れられないだろう。さらにそしてそれは、今の多くの「女性と○○」を語る際の、切れ味の悪さにつながっている。

 「母性」より広い「女性」を考えるということでは、岡田黎子の女学生動員の記録や、関千枝子の二本のレポート(補論「『白い閃光 黒い雨』について」を含めて三本)は興味深かったし、堀場清子の文中に触れられている、助産婦らを動員して行われた遺伝調査の実態(調査結果というよりその過程)については、もっと踏み込まれ、広く問題にされるべきだろう。戦後、被爆した女性一人ひとりがどのように生きたか、生きねばならなかったか。「母性神話」から脱却できなかった者、脱却していった者、あるいは脱却せざるを得なかった者をも含めて、彼女らをとりまく戦後社会そのものが、検証されなくてはならない。被爆後五一年を経てなお、語られ、開かれ、掘り下げられなければならないことの多さを感じる。

 そのような意味でも私には、被爆体験を持ち、あるいは間接的に関わり続けた女性達の生き方の方が印象に残った。「被爆」と一口に言いながらも、その多様性とでもいうのか、大きなくくりでは「同じ体験」でありながら、生活の場所、年齢、家族たち……、状況によってまるで違う体験であるという、当たり前の不思議さがそこにはある。取り上げられた三人の文学者はもちろん、この本の著者や彼女らをとりまく人々の人生そのものが、「女性と原爆」というテーマを表しているようにも思う。具体的な、生の体験というものの強みなのだろうか。その個別の体験を、社会的な状況、特に被爆者、あるいは女性になされた政策と付け合わせていくことによって、「女性と原爆」の実像が見えてくるのだろう。また、そうして一人ひとりの具体的な生き死にを明らかにしていく作業を通して、数値ではない、原爆被害の実相を描き出すことができるのではないか。そのことは、この本の主題からは多少ずれるが、虐殺と虐殺を数で置き換えて相殺していくような論理や、全ての「戦死者」をひとくくりにしていく論理に対抗する力となるだろう。

初出:「月刊フォーラム」1996年11月号
 
【補】わー、もう10年も前の原稿かい。とはいえ、余り自分でその後の進歩を感じないような=つまり言っていることに変わりがないような気がするのはいいんだか悪いんだか(笑)。年を取って、「フェミニスト」とはますます距離が開いていったとはいえる。この「女性と○○」については厳しくなったな、我ながら。この頃から私は、一人ひとりの人生というものに、とりわけその選択に興味を持っている。ほんの一瞬の選択が大きく人生を変えてしまう。それが極端に現れるのが戦争という現場なのかも知れない。

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