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【映画】戦国自衛隊1549

戦国自衛隊1549
手塚昌明監督/2005年/角川・東宝

自衛隊VSテロリスト、天母城の決戦

 どうしても前作(「戦国自衛隊」1979年制作)のイメージが尾を引いてしまうけれど、「似て非なる」映画。

 かつての陸自特殊攻撃部隊・Fユニットのナンバー2、今は除隊して居酒屋店長の鹿島(江口洋介)の元へ、森三佐(生瀬勝久)、神崎二尉(鈴木京香)が現れ、二年前、訓練中の事故で殉職したかつての上官・的場一佐(鹿賀丈史)が生きているという。しかも戦国時代で。近々、もう一度タイムスリップする条件が整うので、的場の救出オペレーション・ロメオ隊に、オブザーバーとして参加を要請に来たのだ。一度は断る鹿島だが、的場たちと入れ替わりに戦国時代から来たという武士・七兵衛(北村一輝)と出会い、ロメオ隊に加わる。

 タイムスリップしたロメオ隊を待っていたのは、織田信長を名乗る的場の攻撃だった。的場は斎藤道三(伊武雅刀)と手を組み、製油工場を備えた天母城を建設、MHD電池を使って富士山を噴火させ、関東一帯を壊滅させた後、「強い日本」を作ろうとしていた。藤介少年(中尾明慶)や七兵衛の助けで天母城から脱出したロメオ隊だが、森をはじめ部隊の半分以上を失い、負傷した神崎は捕虜になった。残存部隊の三國陸曹長(嶋大輔)は任務遂行を決断するが、勝ち目はあるのか…。


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 うーん、みんな信長になりたいんだなぁ。そんでもって「太平洋戦争」に勝ちたいんだなぁ。考えてみればこの二つは、ノベルズ業界の二大テーマだから、福井晴敏が原作やりゃあそうなるわなぁ。79年版は「気がついたら織田信長になっていた」のが面白かったのだけど、今回は意図的に織田信長をやっている(信長を殺しちゃったからという理由はついてるが)。的場は戦場のまっただ中で部下を失っていき、「自衛官を辞める」と宣言し、「自分の身を守る術すら忘れた平成人のために殉ずるつもりはない」と言って歴史の作り替えに着手する。その生ぬるい平成人を作った原因を60年前の「無惨な敗戦」に求め、強い日本を作るために戦国時代からやり直し、「日本人であることが誇りであるような国」に作り変えるというわけだ。

 その的場のいわば懐刀だったのが鹿島なのだが、彼はFユニットが「時期尚早」との政治判断で解散になったとき、半ばヤケで除隊。的場以上に周囲と社会に絶望しながら雇われ店長をやっている。タイムスリップ後の実弾使用をめぐる森とのやりとりの中で、的場隊の殲滅がオペレーション内に組み込まれていることに怒りながらも、的場の計画を「それはただの殺戮だ」と全否定する。

 このミッション自体がPKOー対テロ戦争の延長線上に設定されていることは押さえておかなくてはならないだろう。鹿島と森の対立点であった「実弾使用規程」は、現実問題である。「現地人」には衝撃弾のみを使用するという規程は、初戦で道三に嘲笑われ、犠牲者を多く出す元となる。的場隊は「元自衛隊」でありつつも「現地有力者と手を組んだテロリスト集団」である。そもそも鹿島が否定したのは「テロリスト集団による世直しのためのテロ」なのか、「誇りとなるような軍事大国」なのか、それとも「歴史の修正=捏造」なのか?

 森三佐もステレオタイプな上官。元精鋭として実弾使用許可を求める鹿島を「人殺し」呼ばわりし、唯一のチャンスで的場を撃てなかった神崎を叱責して鹿島から「あんたは撃てるのかよ」とやり返されるその錯綜した二人の対立は、鹿島のプロフェッショナル性と森の「実戦経験のない軍隊の無能さ」を際だたせるため……って、鹿島は戦争請負会社か? 森の最期も「気持ちはわかるけど指揮官としてはそうじゃないだろうよ」的にステレオタイプ。拳銃と日本刀を構えながら「現地人には実弾は使用しない、だよな、ふっ」って、個人的には嫌いじゃないけど、日本軍的で無意味な突入だよなぁ。

 ポイントは多く、原稿は短い。女性二尉の登場も現代的ではあるが、中身はダメダメ。発端は彼女の判断ミスによって暴走したシステムが起こしたタイムスリップであり、その責任をとるためにロメオ隊に加わる。とはいえ、結局は色恋話かい。自立した兵士としての女性自衛官ならいいかって言われても困るのだが。道三がギャグキャラだったとは思わなかった。やっぱりいいよな、伊武雅刀。

 わずかな生き残りと共に現代に帰還した鹿島は、ロメオ隊の「仲間」が彼を呼び止めて敬礼した際も(それはいわゆる「感動的な」場面なのだが)、ヘリの周囲に多くの自衛官が集まり敬礼で迎えた際も、ついに一度も返礼をしなかった。主役である彼のどこか「ゆるい」風貌とともに、それはとりあえずこの映画を救っているだろう。彼自身の未来が自衛隊/戦場にはない証であるのだから。

 前作のような個々の自衛官の物語はない。ほとんどの自衛官はAでありBだ。それは25年経って、物語の必要がないほど、自衛隊が身近になったということでもある。

 家に帰ってテレビをつけたら、バラエティ番組で自衛隊と米軍が日米共同の運動会をやっていた。それが「平和イベント」とされる、25年とはそういう月日であったわけだ。

(「季刊運動<経験>」15号 2005.8)

【補】「信長になる」理由が「太平洋戦争に勝つ」だもんなぁ…。何かもう少し、建設的なことを考えればいいのにと思うよ…。前作は結構入れ込んで観たのだけど(笑)、もっと「群像劇」っぽく作ってあった。タイムスリップする自衛官の人数も少ないわけだけど、一人一人のエピソードが(量の多少に差はあれ)語られ、最初の方で死んでしまった人はともかく、彼ら一人一人が「いつ、どこで、どのように」殺されていくのかを追っていった映画だったともいえる(ある意味で「イデオン・発動編」)。今回は山のように「その他の自衛官」が出てたからな。彼等が「自衛隊にいること」に必要性はないわけだ。前回の失敗、「補給なき近代兵器はゴミ」を、自助努力で克服していたところも(笑)だったわ。オマージュとしては、斎藤道三が「腕時計をみてニヤリ」をやっていた。しかし歴史を捏造してまで戦争に勝ちたい、というのは究極の「自虐」だと思うがなぁ。鹿島=江口洋介の微妙なゆるさはこの映画の救いのひとつではあるが、それは江口がパンフレットで語っている通り、兵器(装備、というわけだが)を「かっこいい」と思いつつ同時に「でも、戦争のための道具だよな」といえる感性によるところから来ているだろう。「戦後」の遺産はまだ、食いつぶされたわけでもないんだな、多分。

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