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【バレエ】雑記帳(2) バレエと出会ったころ

 バレエを初めて見たのはいつだろう? 

 初めてバレエを知ったのは、もしかしたら小学館の学習雑誌だったかもしれない。4歳違いの姉がいたので、小学校に上がる前から姉の「小学○年生」のマンガを読んでいた(しかもうちは母の教育方針というヤツで、実際の学年よりも1年上のものを購読していた。これは学校でのイジメの理由にもなったが、それは余談)。当時、この学年誌には必ずといっていいほど、バレエ漫画が載っていた。谷幸子の「○○の星」シリーズだったと思う。私が覚えているのは「まりもの星」。北海道出身でバレリーナ志望のなでしこちゃんが、妹のれんげちゃんと一緒に苦労する話だったと記憶してるが……ほかの「星」とまざってるかも(笑)。

 72年、札幌オリンピックでフィギュアスケートに貼り付きになった。言うまでもなくジャネット・リンだ。この頃の文集(進級記念文集とかだったのだろうか)の「将来の夢」に「バレエを習ってフィギュア選手になる」と書いた記憶がある。

 同じ72年、テレビドラマ「赤い靴」が放映される。小学生だった私も貼り付きで見ていた。ヒロインに「小田切みほ」にゆうきみほ、公明正大なライバル「甲斐きょうこ」に梅田智美、みほのトゥシューズに画鋲を入れる「稲村節子」に奈美悦子(だったんだねー)、バレエ団の先生が南風洋子。まだ歌えるよ、主題歌(笑)。「赤い靴」ごっこもよくやった。隣に住んでいた同級生の、いわゆる「クラスの女王様」の家で、いつも彼女が「甲斐きょうこ」、彼女の妹が「小田切みほ」、私に「稲村節子」役が回ってきた。当時、今のように気が強くなかった私のイジメは生ぬるかったらしく(笑)、必ず「甲斐きょうこ」だったはずの同級生が「そんなのじゃだめ!」と演技指導に入り、妹を泣かしていた。主題歌に合わせて踊ってみたくて、姉(この頃の「姉」というのは絶対の存在だった)に振りを付けてくれ、と頼んだ。姉といってもまだ小学生だ。「3拍子の曲は踊りが付けられるけど、4拍子の曲は踊れないんだよ」と姉が言った。後に高校生(女子校)の時、後の席のオペレッタ部のバリトンが(もちろん女の子だ)、授業中にいきなり小さく太い声で「♪踊ろう赤いくつううううう」と歌ったときは、机に突っ伏した。休み時間に「あの歌、コワイよね」と言うので、「あんたの方が怖いわ」と言ったが、あの番組のインパクトはそれなりにあったのだな。

 そう、多分この頃。きちんとした学年は忘れてしまったが、おそらく1年生から2年生にかけてだと思う。モダンバレエを習っていた。卒園した幼稚園のホールで、モダンバレエ教室が始まったのだ。うちは母が自営業ながら働いていたし(父は公務員)、当時学童保育などというものはなかったから、学童代わりの習い事をいくつもしていた。始めるときに母が「モダンバレエだからトゥシューズは履かないのよ」と言った。私はつまらないと思ったが、うまくなったら変わればいいや、と思った。当時は近所にバレエ教室などなかったのだから、ほかに選択肢もなかったのだ。姉にモダンとクラシックはどう違うのか聞いてみた。「トゥシューズを履くのがクラシックで、履かないのがモダンなんだよ」、と教えてくれた。実に、高校に入ってベジャールに出会うまで信じてたよ、あたしってヤツぁ(笑)。結局1年と少しだったと思う。踊るのは好きだったが、ストレッチ中心のレッスンが、きついばっかりでつまらなかったのだ。それに高所恐怖症をはじめとしていろいろと怖いことが多かった私は「両膝で立ったまま後ろに反る」というストレッチ(?)がどうしても怖くてできなかった。毎回のレッスンでそれをやらねばならないというのが、本当にいやだったのだ。

 これも詳しい年代は覚えていない。小学生から中学生にかけての頃だろうか。ソビエトの威信をかけて、ということだったのか、ボリショイやキーロフの公演がよくNHKで放映されていた。これも貼り付いて見た。母の歪んだ教養主義のおかげで、バラエティ番組などはあまり見せてもらえなかったが、バレエ(教養と芸術の範疇)とハリウッドのミュージカル映画(進駐軍文化)はフリーパスだったのだ。だからNHKの劇場中継とテレビで放映されるジーン・ケリーやディック・ヴァン・ダイクたちが、今の私の下地を作ったと言えるだろう。

 踊ることはずっと好きだった。たとえ地域の盆踊りと、体育の創作ダンスと、運動会のフォークダンスだったとしても。中高一貫教育の女子校に進んで、体育のダンスの時間は圧倒的に増えた。学校行事でも「クラスでダンス」が増えた。運動会の応援合戦もダンス付き。折しもタケノコ族とYMOの時代。いわゆる「男役」だった私も、それなりに(男性パートであるよう意識しつつ)踊った。

 母校(6年通ったせいか、大学よりもこちらが「母校」だなぁ)はプロテスタント・リベラルが売りのプチブル女子校だったので、文化行事は盛んだった。円楽が来て落語をやったり、誰だか忘れたが狂言を見たこともある。そんな中で一度だけ、バレエ鑑賞も行なわれた。流石に講堂ではなく東京文化会館で。希望者が担任から割り引きチケットを買い、勝手に観に行く、というものだった。演目は「白鳥の湖」。1981年、ソ連国立レニングラード・アカデミー・マールイ・オペラ・バレエ劇場バレエ初来日公演である。(06.2.8)

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