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【映画】プライド——運命の瞬間(とき)

プライド——運命の瞬間(とき)
監督/伊藤俊哉 1998年作品 

「大東亜戦争正当化」失敗作の悲喜劇

 裁判冒頭、法廷から引きづり出される大川周明が抵抗しながら叫ぶ。「It's a comedy!」

 まったく、出来の悪いコメディを見せられているようだった。散漫な構成、活かされない役柄、不十分な説明、そして津川雅彦のオーバーアクト。「東条がのり移った」といわれた津川の演技だったが、例えば法廷で松岡洋右の死を知らされる場面、あるいは「ただ一人特攻隊となって闘う」という有名な場面での過剰さは、悪い冗談みたいなものだ。パル判事の私生活部分も、せっかくインドロケまでして、かえって話を散漫にさせている。若い恋人たちも、背負わせたい役割は理解できるが、そのように活かされてはいない。観客が「これはこういうふうなことを描きたかったんだろうなあ」などと思いながら観るようではまずかろう。また、どこの国が参加していたのか、死刑囚以外の判決はどうだったのかという基本的な事柄、「天皇免責」をめぐる連合国相互の確執もほんのアリバイ程度で、東京裁判の本質・全体像を描くという点でも未消化に終わっている。


 さて、スクリーンから読みとれるメッセージは主に三つ。(1)東京裁判は勝者=連合軍=アメリカによる復讐戦であり、占領政策であった(連合軍だって同罪)。(2)東条はその連合軍に対し、民族の誇りを賭けて一人闘った。(3)日本はインド独立を助け、アジアのために尽くし、若者は情熱を賭けた。

 東条にしろ「大東亜戦争」にしろ、「美化」はされていない(できなかった)のかもしれない。が「だって連合国軍だって、五十歩百歩じゃん」といういつもの調子で「正当化」はおおいになされている。「あいつは悪い奴だ、だからこれは正義の戦争だ」というレトリックは、「大東亜戦争」に関しても「ファシスト日本と闘った正義の戦争」と「侵略者米英に追い込まれて始めたアジア解放戦争」としてお互いに使われてきた。そのどちらもがデマゴギ−であったことを、私たちは知っている。冒頭の弁護人の言葉通り、アメリカだって原爆を使用した。しかしそれで日本がアジアに侵略しなかったということにはならない。「不条理」な東京裁判を東条は闘った。だからといって東条が犯した戦争犯罪がチャラにもならない。第二次大戦後にアジア諸国が独立したけれども、日本に解放されたわけではない。それらは末端の兵士がどう情熱を傾けようと変えられない。パルが無罪判決を書いたところで、日本軍の残虐行為はなくならないのだ。

 乗り越えられるべき既成概念は「正義の東京裁判」ではなく、「悪に対抗するものは正義」であり、「戦争は一方が悪で一方が正義」であった。「不条理」な東京裁判はそのための格好の材料だろうし、この映画が避けて通った天皇免責問題からこそ、「戦後日本の矛盾」も、現在の安保・沖縄状況も描き出すことができただろうに、と思う。

 純粋に映画として観ても、私が金券屋で払った780円は妥当だった。祖国へのプライドなんて、安いにこしたことはない。
(「ACT」98年9月頃。掲載紙紛失)

 「プライド」に関してはもう大体議論がで尽くしたような感もあるし、私自身別稿で書いてしまったので(ACT参照)、ちょっと困ってはいるのだが、いくつか残した議論があるのも、確かに前号でたいら氏の指摘する通りではある。だからちょっと枝葉末節を覚悟で、このかんの論評との違和感を書いておこうと思う。

 つまり、批判的論評(を多く読んだわけだが)に紋切型に表れる「大東亜戦争の美化」というヤツだ。正直なところ、これは当たっていない。製作者の意図とかスポンサ−の意図とか果ては津川雅彦の意図をもさておいて、当たっていない。「そのようにしようとして、そうできなかった」ということもあるのだろうが、むしろ私には、監督はこれを放棄していたのではないかと思える。彼が望んでいたのは「美化」ではなく、「正当化」ではないかと感じるのだ。これは大きな違いだ。「日本は侵略戦争をしなかった」というのと「日本は侵略戦争をしたけど、仕方なかった」というのとでは、どえらい違いだ。そして現在の日本で「あれは侵略じゃなかった」と言い張るよりは、「だってしょうがないじゃない」と言う方がもちろんはるかにシンパシィを得ることができる。「従軍慰安婦はいなかった」とは、さすがの小林よしのりもも言うことはできないが、「法律で保護されていた」と言えば信じてしまう人がいるのと同じことである。そこら辺りがこの映画の獲得目標であったろうと思うのだ。

 この獲得目標をここまで「落とした」というふうに考えることもできなくはないが、おそらくそうではないだろう。「美化」から「正当化」へは、質の強弱ではなく質の転換が行なわれるからだ。「美化」は感情だが、「正当化」はあらかじめ感情を含み込んだ理性である。「一皮剥けば牙が出る」式ではないコワサが「正当化」の中には潜んでいる。このように言うこともできる。「美化」されるのはエピソ−ドであり、「正当化」されるのは戦争それ自体である、と。だとすればこれは、過去へのノスタルジアではなく、未来への布石である。正当性に「民族」の「プライド」をちりばめ、「先達に続け」と檄を飛ばせばいっちょあがり、である。そこまで勘定して製作していたとすれば、できの悪さに(とりわけ津川雅彦に)感謝せねばなるまい。

 もうひとつの違和感は、この映画というよりも小林よしのりらを含んで言われている「アメリカ善玉史観」である。この「史観」は彼らが(あるいは我々が)いうほど、ちまたに浸透した概念なんだろうか? というのが素直な気分だ。高度成長期に生まれ育ち、バブル時代に学生生活を送った私には、どうもピンとこない。大体「アメリカによって日本が解放された!」という見解も、25を過ぎてお目にかかったわけで(あ、これはちょっと恥ずかしいか)、私にとってアメリカは常に、見習うべきお手本でもなく、追い付くべき先達でもなく、さらに打倒すべき帝国でもなくて、「やっぱアメリカの民主主義とか映画とかちょっとスゴイけどさ、麻薬もあるし犯罪率も高いし、貧困層たらものすごいしさ」てな具合で「アメリカよいとこ」みたいなことは全然思わなかったのである。ここは、戦後すぐの記憶があるひととは徹底的な経験差のあるところだから、年配の人が言うのはわかるのだが、60年代生まれあるいはそれより若い人に言われると、「あんたそれ、どっから拾ってきたん?」と思ってしまうのは確かだ。もっと若い人はどうなんだろう。

 さて、それはともかく。実際、松岡洋右の死が知らされて、津川の顔に歌舞伎の隈取りができて法廷の真ん中でぽお−んと能が始まったあたりから、笑いがとまらなくなってしまった。いやあ、後にいるのがウヨクだったら刺されちゃうなあ、と思うくらいくすくす笑いっぱなしだったのだが、どうやらそのようにみる映画ではなかったらしい(場内でも失笑はもれ聞こえてきていたが)。そういえばこの津川風の演技を「クサイ」といいつつ笑い、喜び、楽しむようになったのは、「スチュワ−デス物語」以降なのかな、とちょっと思った。津川が熱演すればするほど、東条があほうに見えるというのは、喜劇なのか、悲劇なのか。
(「反天皇制運動じゃ〜なる」15号 通巻172号 98.10)

【補】いや、若いなー、私もいろんな意味で(笑)。この「プライド」公開時には、右からも左からも様々な論考が華やかに並んでいたわけで、私も2本も書かされた。まあそれくらい、この映画は「事件」だったわけよ。今からは想像もつかないが。前の1本は「『ACT』の編集者の評がヒドイから、ちゃんと批判してやってくれ」という依頼がA野氏のところにあり、「オレ書いてる暇ないから、お前書け」という恰好で回ってきたと記憶している。2本めは、リレー連載の形でこの映画の評を何人かが書いたうちの1本(タイトルはこちらのもの)。それまでに出なかったことを書こうとして苦労してるわ(笑)。ほかにはたいらひとし、木元茂夫、太田昌国なんて面々が書いたんですな。

 そんな経過で書いているので、どちらにも「あらすじ」は載っていない(笑)。東京裁判を「立派に」闘った東条英機に津川雅彦。インパール作戦に参加し、今は帝国ホテル客室主任、映画の最後でインドへ渡り独立戦争に参加する青年に大鶴義丹。パール判事の担当客室係で大鶴の恋人に戸田菜穂。東条の妻にいしだあゆみ。東条担当弁護士に奥田瑛二。まあそんな映画だすな。

 ウヨクがしきりと「東京裁判史観弾劾!」みたいなことを(今でも)言っているのだけど、私の身の回りの(いわゆるサヨクの中で)、東京裁判を肯定してる人というのはほとんど見たことない。少なくとも90年代あたりでは、「天皇免責の欺瞞的裁判がなんぼのもんじゃ」とか「アメリカ(と連合軍)のご都合主義的裁判じゃねーか」というのがごくフツーだったと思うけど、ウヨクは何をどう読んでるんだか。で、それとは別に、東京裁判で採用された証拠物件や文書などはそれとして(つまり裁判の進行や判決とは別に資料として検証して)使用するということはあるわけだけど。

 この後の「ムルデカ」は興行的にも話題的にもふるわなかったと記憶してるけど、これ以降、こういう言説が「恥ずかしげもなく」現れるようになった、ある意味で時代の先駆け的な映画ではあったように思う。それにしても津川雅彦はただのギャグだったよなー。(05.10)

 【さらに】アフェリエイトを付けようとしたら、DVDは出なかったのか絶版になったのか、AmazonにはVHSしか見つからなかった(笑)。この映画と東京裁判については、高嶋伸欣氏の講演がめっぽう面白かった。右翼は昭和天皇がどれほど東京裁判に感謝していたかを勉強すべきである、という。東京裁判の否定は天皇制の否定でもあるんだってことね。
 

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