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【映画】エビータ

エビータ

アラン・パーカー監督/1996年作品/原題「Evita」

いずこも同じ「聖母(マドンナ)」の……

 冒頭、映画中映画のフィルムが途切れ、ブーイングの中、映画館の支配人がエバ・ペロンの死を告げる。泣き崩れる人々、荘厳な葬列。それらが一区切りついてバーの中、アントニオ・バンデラスが唐突にラテン調の「ホワット・ア・サーカス」を歌い始めてようやく思い出した。「あ、ミュージカルだっけか」。なあんだミュージカルだよ、劇団四季でもやってたじゃん。

 そんなことはすっかり忘れて「社会派映画」を観に来てたつもりの人はちゃんと裏切られる。こいつはエンタテイメント。そう切り替えたらめちゃくちゃ楽しい、アルゼンチンのファーストレディ・エビータの成り上がり一代記だ。もっともバンデラス(劇中では「チェ」役)とマドンナ(エビータ役)の歌いまくりだから、多少はエビータとその時代に関する知識がないと、特に後半ペロン政権成立以後は何が何だかわからなくなるかもしれないが。

 この映画を特集した三月一日付「朝日新聞」の学芸欄の見出しはこうである。「聖なる母? それとも情婦?」。

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 エバの「聖母」ぶりたるや半端じゃない。文字どおり金のまきまくりだ。彼女は歌う。「私は大衆から生まれた/群衆は私を崇拝しなくては/……/彼等は刺激を求めている/そして私も/……/労働者は私が敵よりも輝いていることを/期待している/彼等の期待を裏切れないわ」。そこで必要なものを彼女はすべて身につけようとする。「目!髪!容姿!ドレス!声!ファッション!動き!……」。政治の実権は、少なくとも表向きにはペロンが握っている。大衆的支持を得るためには夫を立てて、聖母型の妻であるのが早道だ。ペロンの後ろで控えめな顔で、労働者優遇措置に、女性の権利獲得に、慈善事業に邁進する。自分の財団を作り、水道を引き、奨学金を出す。子どもたちは列を作って彼女から靴やボールを手渡してもらう。きれいな服、子どもを抱き上げる手、優しげな笑顔。「お金がザクザク」という軽快なリズムに乗ってエバの振りまくその仕草。

 おい、ちょっと待ってぇな。これ、観たことのある光景やで。その仕草もイメージアップ作戦も、「ペロンと国民をひとつにした女性として覚えておいて」なんて言ってみせる殊勝さも。

 「聖母」らの仕草はとても似ている。それはエビータもマサコもミチコもキコも、「夫の権力」なしには「聖母」たり得ない、同じ足枷を負っているからだろうか。「聖母エビータ」とて言ってみればマスコミの、いや日本風にいえば「女性週刊誌の聖母」なのだ。実際の身分より「女性週刊誌の聖母=女帝」であることで、大きな権力を手に入れる。だから男は「指導者」「領袖」でも、女は「母」になっちゃうんだろうな。子どもがあろうがなかろうが、「国家」という家の。

 それでもエバはしたたかだ。「聖母」と呼ぶのは周囲だけ(そう呼ばれるように振るまってはいるのだが)、エバ自身は徹頭徹尾、自分の欲求のままに走り続ける。不敬ミュージカルとして拒否反応があったのも、さもありなんという感じ。実在のエバ・ペロンとの差異はともかく、「聖母」と「情婦」とに二分されない、一貫した「エビータ」像が、そこにはあったと思う。

 それを終始傍観者として、時には共演者として見続ける「チェ」は、(プログラムによれば「ブレヒト派」)労働者階級を体現する存在。皮肉っぽく、斜に構えながら批判を続ける彼は、それでも心のどこかでエバを愛し続けてもいる。舞台オリジナル版でゲバラであったこの役を抽象化したことで、民衆とエバとの関係は、より克明になったといえるだろう。嫌悪と侮蔑と愛情とがないまぜになった「チェ」の感情は、「ライバル」だけでは捉えきれない。「チェ」がゲバラであった痕跡を残す、ラスト近くの二人が掛け合いながらワルツを踊るシーン——それはガンに倒れたエバとデモで警官に打ち据えられ失神した「チェ」の幻覚の中であるが——は、それだけに興味深い。

 ともあれ、ミュージカルの持つ楽しさは十分に堪能できる。エバが踊りながら次々スポンサーである男を変えていくナンバーや、ペロン台頭以前の、砲声と共に政権が変わっていくナンバー、歌いながら進む何千人ものデモ隊などは、映画の面目躍如だろう。オリジナル版でペロンの愛人の持ち歌であった「アナザー・スーツケース」をエバのサブテーマに据え、シチュエーションと歌い手を変えながら繰り返したことも含め、ナンバーの様々なバリエーションとリフレインは、波のように訪れる人生の転機の類似と反復、その選択を描き出していて見事だった。

 とはいうものの「ロックオペラ」の手法そのものは、成功したとは言いがたいところもある。映像のリアルさとミュージカルの持つ「非リアルさ」は、未だ部分部分に違和感を残していたし、舞台では気にならないかもしれない冗長さが逆に目立ったシーンもあった。特にエバとペロンの出会う「グッド・フォー・ユー」のシーンはやたら長い(メイン・ラブ・ソングが「私は役に立つ女」ってのもすごいけどね)。

 私の隣の若い女性は中盤、ペロン釈放要求デモ辺りからべそべそ泣きっぱなしであった。と思ったら、後ろのやはり若い女性の二人連れは、終わるなり「あー、つまんなかったよぉ、ながかったよぉ、何これ」であった。評価の別れる映画だったらしい。

 閑話休題。今更といえば余りにも今更ではあるが、バンデラスは艶っぽかった。久しぶりの大量動員型映画とはいえ、デモの先頭で拳をふってるバンデラスに思わず感じちゃうってのは、私も歪んできたのかしらん。今度はゲバラのバンデラスも見たいよぉ。(文中の歌詞はサントラ盤・末成みねこ訳に、字幕の記憶で手を入れた)

(「月刊フォーラム」1997年6月号)

【補】今はなき、フォーラム90sの機関誌「月刊フォーラム」で連載していた「みーはーキネマ」の第2回。舞台オリジナル版を観たい観たいと思いつつ、結局まだなのね。いや、「シカゴ」を書いた時よりも5年も前だけど、ミュージカル擁護の仕方が同じだわ(笑)。結局こういうものは、その世界の約束事が受け入れられるかどうか、それで楽しめるかどうかにかかっていて、それ以外のなにものでもないのかも。でもやっぱ、このやたらモブシーンの多い映画の中でも、デモシーンって興奮しちゃうんだよなぁ。歪んでるなぁ。(04.5)

【さらに】劇団四季版を観た(こちら)。映画は結構よくできてるんだなー、と思った(四季版がつまらない、という意味ではなく)。群衆シーンって、やっぱり物量なんだなー、というのもしみじみ。舞台の方がミュージカルの虚構性にはなじむと思うが、「歌いながら踊れる」というのは映画の特権でもあるのだなー、と、これもしみじみ。(06.9)

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