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【映画】ヒトラーの贋札

ヒトラーの贋札
ステファン・ルツォヴィッキー監督/2006年作品/原題「Die falscher」英題「The Counterfeiter」

 世界的な贋作師のサリーことソロヴィッチ(カール・マルコヴィクス)は、印刷工で共産主義者のブルガー(アウグスト・ディール)らとともにザクセンハウゼン強制収容所に移送され、そこでナチスによる贋札製造作戦=ベルンハルト作戦の主任となる。作戦責任者はかつてサリーを逮捕して少佐に昇進したSSのヘルツォーク(デーヴィト・シュトリーゾフ)。

 サリーらは強制収容所の中の秘密工場に隔離され、贋札の製造にあたる。だがドル札を刷るために必要な技術を持つブルガーは、ナチスに協力することはできないとしてサボタージュ。業を煮やしたヘルツォークは、期限までにできなければ五名を銃殺すると告げる。かたくなに「正義」を通そうとするブルガー、ブルガーを密告しようという者、それを許さないサリー。サリーと取引しようとするヘルツォーク。様々な思惑が交錯する中、連合軍が迫りつつあった。

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 収容所の中でありながら彼らには、志気を高めるために様々な恩恵が与えられている。しかし塀の向こうでは「同胞」が虫けらのように殺され続け、それは時折銃声や、流れ弾や、偽造用パスポートの素材となって彼らを脅かす。「同胞のために」というブルガーの言葉には具体的な根拠がある。そして「正義のために殺されるのはゴメンだ」という技術者たちにもまた切実な根拠がある。話し合いが何度も行われる。自分の「正義」のために他人に死んでくれということが可能なのか。「身近な他者」と「塀の向こうの他者」のどちらを守るべきなのか。それは、極めて現代的かつ現実的な問いである。答えはおそらく、ない。

 「虐げられし同胞による決起」というブルガーの夢が実現したとき、彼らは「ナチスの協力者」として襲撃を受ける。ブルガーを「勇気ある抵抗者」として祭り上げ、自分たちを守り抜こうとする班長の醜さをあげつらうことは簡単だが、そこで満足げに笑みを浮かべるブルガーもまた、うつろな目で自分たちとは段違いに優遇された宿舎をさまよう「同胞」にとっては、解放者でもヒーローでもない。勝者はだれもいない。残るのはただ虚しさばかりである。

 戦後、持ち出した贋札をすべてカジノで使い果たすサリー。それは彼がばらまいた最後の爆弾でもある。ラストシーンのモナコの海が、彼の限りない虚無を映し出して美しい。
(初出「インパクション」162号 2008.3)

【補】自分でも書きながら迷っていることがわかります。結局のところ、僕らは常に「塀の向こうでピンポンに興じる人」でしかない。何をどのように——デモをやったり、申し入れをやったり、署名をやったり——したところで、結局そういうものでしかない。そのことを「肝に銘じたい」だの「自覚することが大切」だの「知ることから始めよう」だの、そういうわかったような言葉で免罪したくない。僕らはそんな言葉を何十年もただ吐き続け、結局のところ、なにもせずに死んでいく。

 非常に印象的なのは、ブルガーの処遇をめぐって、なんどもチームの間でミーティングが行われること。ブルガーの「想い」を一定共有し、尊重した方法が模索されること。そしてそこでの決定がぎりぎりまで守られること。この状況下でのそれは、この映画の中で「最も感動的なこと」であるかもしれない。

公式サイト(こちら) ブログはこことかこことか。

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