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【映画】RENT

RENT

クリス・コロンバス監督/2005年度作品/アメリカ映画/原題「RENT」

表現する動物たちのこと、再び

 一九八九年、クリスマスイブのニューヨーク。映像作家の卵マーク(アンソニー・ラップ)と元人気ロックミュージシャン・ロジャー(アダム・パスカル)の住むロフトのある一角は、売れないアーティストとホームレスたちが住む吹きだまり。家賃を払えない彼らを追い出して、この地区を再開発しようとするベニー(テイ・ディグス)は、マークの元恋人モーリーン(イディナ・メンゼル)らによる抗議ライブを中止しろと迫る。マークたちの親友コリンズ(ジェシー・L.マーティン)は強盗に襲われたところを、エンジェル(ウィルソン・ジェレマイン・ヘレディア)に助けられて恋仲になり、ロジャーは階下に住むセクシークラブのダンサー・ミミ(ロザリオ・ドーソン)に誘惑される。モーリーンとその恋人ジョアンヌ(トレイシー・トムス)による抗議ライブは、ベニーらの配置した警官によって乱闘騒ぎとなり……と、ここまでが前半。

 ドラッグ、エイズ、権力、そして自らの才能。彼らが立ち向かわなくてはならないものは多い。「いつかはきっと」と思うばかりの彼らは、意気がってみても、実は無力だ。その中で、ロジャー、ミミ、コリンズと同じくHIVポジティブであるエンジェルは、自助サークルである「ライフサポート」に通いながら、周囲を豊かな愛情でつないでいく。

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 「ゲイこそが真に自由で、愛に満ちた存在」というのはひとつのイデオロギーであって、「ミックスド」とか「オーバー」と呼ばれるジェンダーで生きてきた私なんぞは「へえ」と思ってしまうし、だから初めの方でエンジェルが、ロジャーに拒絶されたミミを抱きしめるところなどは「またかい」という気分だったのだが、ヘレディアはその気分を見事に蹴散らしてくれた。それはヘレディアが、見た目の美しさではなく、真に「自由で愛に満ちた存在」をもって、エンジェルを描いていたから。エンジェルの仲間をいとおしむ気持ちが、その存在を美しく見せるのだ。「NO DAY BUT TODAY」という限られた時間の中でようやく愛情を注ぐ相手を得たエンジェルは、自暴自棄になることもなく精一杯、仲間たちをつないでいく。所在なさ気にストリートでドラム(バケツ)を叩いていた青年は、いつの間にか仲間たちの心のよりどころとなっていくのだ。ライフサポートのメンバーが寄り添いながら「自分が死んだら誰が悲しむのか/明日目が覚めればこの悪夢も覚めるのか」と歌い、マークが「記録者」の枠を越えて彼らとともに歌うシーンは、地味ながらもこの映画の中心のひとつだし、ラストカットの素顔のエンジェルは本当に美しい(そしてその前の臨死エピソードは本当に蛇足だ)。

 後半、エンジェルを失った彼らはバラバラに離れていくが、ロジャーはミミを、マークはエンジェルが残したものをみつめ続けることで、もう一度自分の「表現」(映画字幕の訳語でいえば「創造」)に向かい合う。実際、彼らはどのように抑圧されようと、「表現すること」をやめようとはしない。いわゆる「青春群像劇」の中で見過ごしがちではあるが、この映画のテーマはそこにもある。前半と後半を分ける、「抗議ライブ」の後にレストランで大騒ぎをしながら歌われる「La Vie Boheme」はまさにそうだ。歌い、踊り、語り、撮る。方法はなんであれ、技術が稚拙であれ、内側から沸き上がってくる「表現したい」という欲求を、誰も止めることはできない。その欲求はあくまでも「自由」なもの。そしてその表現を発表するところまでが「表現」なのだ。彼らが目指すのは「ビッグになる」というような一般的な夢ではなく、自分自身を偽らずに表現すること、ありのままの自分を受け入れてもらうこと。人間というのはまずもって「表現する動物」であり、再度、立川反戦ビラ弾圧救援会のスローガンを拝借すれば、「表現は自由」なのだとあらためて思う。守るべきものとしての「表現の自由」ではなく、本来的に「表現は自由」であると。

 資産家の娘と結婚することでロフトから抜け出し、抑圧する側になったベニーもまた、マークやロジャーとともにもう一度作品を発信する場を、再開発したビルに自分のスタジオを作るという方法で実現しようとしたに過ぎない。だから後半、マークが「ワイドショーに魂を売って」家賃を稼ぎ出した後は、彼らとベニーの関係は対立点を失ってぐずぐずになって行く。この辺りの中途半端加減は惜しいところ。もちろんそれはマークがベニーと近い地点に立った、ということであり、対立すべき「権力」を失った集団の結束はもろい、ということでもあるが。

 それにしても、音楽の持つ力というものを思い知らされる。冒頭、マークら八人が誰もいない劇場のステージに並んで歌う「シーズンズ・オブ・ラブ」や、エンジェルの葬儀で歌われる「アイル・カバー・ユー」での、とりわけトレイシー・トムスの圧倒的な声が、まっすぐに心に刺さってくる。「La Vie Boheme」で歌われるように、「戦争の反対は平和じゃない/『創造』だ」という具合にすんなりとは、なかなかいかないのがキビシイ現状ではあるけれども。

(「運動<経験>」18号 2006.8)

【補】タイトルが「再び」なのは、同じ発行元のミニコミに、「移動の自由」にからめて、表現することについて書いたので。

 先日、弁護士が書いたという映画コラムの本で、この映画の冒頭の「家賃を払わない」宣言について批判していたのだけど、マークとロジャーがベニーに向かって、家賃請求について「話がちがうじゃないか」と詰め寄るシーンがあるんだよね。つまり、ベニーは大家の娘と結婚してロフトを出る時に、「今後家賃の請求はしない」旨、約束してると推測できる。目の前で書類を焼く、というのは伝統的な抗議行動で、例えば国防総省の前で徴兵カードを焼く、というのと同じ意味を持つ。それを一斉に窓から降らせるところに、ロフト全域の抗議の意思、という意味があるわけよ。で、その弁護士の人は、ベニーの「マークたちと一緒に作品をつくるスタジオをつくる」という意図をマークたちが汲まない、みたいなことも言っていたのだけれど、マークたちがあそこで問題にしているのは、ロフトの共有部で暮らしているホームレスをどうするか、ということであって、自分たちのスタジオをつくることで彼らを追い出すわけにはいかないということ。弁護士なんだからそれくらい読んでくれよー(涙)。

 それにしても「抗議ライブ」はつまんなかったけどな。つまらない、ということで前衛的なものに対するパロにしてるのか、アメリカ人にとってはあれがおもしろいのか、本当にどうしようもないのか、いまひとつわからない(笑)。そもそもモーリーンのタイプが好きじゃないしな。

 ミュージカルシーンとしては、やはり「ラ・ヴィ・ボエーム」が圧巻だけど、ちょっと地味目(?)の、「サンタフェに行こう」が秀逸。地下鉄の中で歌うコリンズとエンジェル、見守るマークとロジャー、地下鉄の乗客たちが、とても洒落たシーンを作り上げている。また、歌いながらライフサポートに場面がカットバックするたびに、メンバーが一人、また一人といなくなっていく演出は、うまいけれどとてもつらい。(06.10.14)

当日の日記

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