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【映画】男たちの大和/YAMATO  

男たちの大和/YAMATO  
監督/佐藤純彌 2005年作品 東映/角川春樹事務所

かくて消費されるツッコミなき「泣ける映画」

 二〇〇五年、四月。枕崎市の漁協に「大和の沈没地点まで船を出してくれ」という女性、内田(鈴木京香)が現れる。元大和乗組員で、現在は漁師の神尾(仲代達矢)は、彼女がかつて自分をかわいがってくれた上官・内田二曹(中村獅童)の娘と知り、一五歳のアルバイト漁師・アツシと共に船を出す。特別少年兵として一五歳で志願、後に大和乗組員となった神尾の語る、大和の物語が始まる……。

 この二年ほど、舞踊関係の文章をぽそぽそと書き、読みながら痛感したことがある。それは舞台であれ映画であれ、見るということは作り手・受け手の共同作業であって、受け手が自分の中に存在しない「物語」を見いだすのは、なかなかに困難だということだ。「新しい物語」を受け入れられないというのではない。ぼつん、ぼつんと置かれたちょっとしたとっかかりから、未知の物語を展開していくのは、受け手にその気がなければ難しい。あらかじめ持っている自らの参照項の中から選んでわかりやすい物語として読み解くのもまた、受け手の作業なのだ。

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 というわけで、この映画にもぽつん、ぽつんとそれなりのちょっとしたとっかかりは置かれてはいる。そのとっかかりは、確かに作り手側が主観的に「反戦映画」として作ろうとした、その名残であろう。だがそこから物語を展開するには、受け手側のかなりの自覚を必要とする。

 例えば、端的に現れているのは、菊水一号作戦にあたってのあれこれのやりとり。部下を無駄死にさせるわけにはいかないと反対する第二艦隊司令(渡哲也)に対し、参謀長(林隆三)が言う。天皇が、「海軍にはもう艦はないのか」と聞いたのだと。司令は言葉を呑み込み、作戦を受け入れる。天皇の、軽はずみなと言えばいいのか、考えなしのと言えばいいのか、そんな一言が海軍を無謀な作戦に駆り立て、三千人の命を奪ったのだという「とっかかり」はある。だがここにあるのはあくまでも「とっかかり」であって、それを天皇の責任にまで意識を広げるだけのエピソードとするには、見る側の想像力が必要となる。

 一事が万事そんな調子で、おっ、と思った次の瞬間には流れてゆく。クライマックスの臼淵大尉(長島一茂)の演説シーンもそうだ。まず特攻作戦がある。生きて帰ることはおぼつかない。その前提があって、様々に「死ぬことの意味」を見いだそうとあがく。その果てに「破れて目覚める、その魁となる」とする臼淵のセリフが出てくるのであって、決して「破れて目覚めるために」特攻作戦を行なったわけではない。生きて帰れる者たちに必要なのは、破れて目覚めた後の生き方なのだから。だが観客の印象に残るのは「破れて目覚める、その魁となる」ために死地に赴いた男たち、であって、好むと好まざるとに関わらずそうせざるを得なかった人々、そのように自分を納得させる以外に術のなかった人々ではない。

 大体、その「魁となる」ためにどれだけの人が殺されたのだろう? とりあえず大和で三千人。その後の四ヶ月間に、沖縄で、空襲で、広島で、長崎で、中国大陸で、朝鮮半島で、南方の島々で、そして東南アジアでも。「日本」に殺された人、殺された「日本」の人。取り返しのつかない四ヶ月間のすべてを臼淵大尉の言葉に収斂させてしまうわけにはいかないのだ。だがそこまで思いを馳せる余裕は、映画には、ない。

 ほかにもいくつもの「とっかかり」はある。志願せざるを得なかった特年兵の経済状況や、守ろうと思っていた人々が「本土」で殺されていく矛盾。だが見る側が意識しなければそれはただ流れてゆく。人(しかも「いい人」)が死ぬ→涙が流れる→感動した! という図式に沿って、見る側の感情は流れていき、「よい映画を見た」と満足する。娯楽映画の宿命とはいえ「泣ける映画」として消費されていくだけか。

 そして感動的であるべきラスト、父の遺骨を散骨し、敬礼する娘と部下、長渕剛のテーマソングで、すべての試みが台無し。ううむ、見る者に必要なのは「ツッコミ力」かよ。それは作り手としてどうなんだ。

 個人的には面白いシーンももちろんある。「防空指揮所」や砲撃指揮ってあんなだったのか(実はこれがいちばん面白かった)とか。中村獅童の千葉真一化をなんとかしろよとか、春田純一はさすがにもう爆風で吹っ飛ばない役なのかとか、顔のわかる俳優が、もうみんな将校クラスだとか。

 沈没地点からの帰り道、一五歳のアルバイトの少年が、きりりとした顔で操舵輪を握る。なよなよした今時の若いモンが立派になって……って、結局二時間半もかけて、壮大な説教を聞いていたのか、私たちゃ。
 (「運動<経験>」17号 '06.4)

【補】去年の8月に呉の大和ミュージアムに行った。呉の駅を降りて思った。「ああ、この町は、大和で「食う」決意をしたんだ」。それはもはや観光資源であり、飯の種である。東京へ戻ってから、呉出身の友人にそんな印象を話したら、わかる、と言われた。「造船も含めて、もう本当に産業はダメになっちゃったからね。そういう判断もアリなんだろうね」。私たちのスローガンは長いこと「死者の政治利用を許さない」だったのだが、右翼の連中はなぜ、呉市役所やミュージアムの前で「英霊の商業利用を許さないぞ!」とかいう街宣をやらないのだろう? 多分、みんなあの模型屋以外の何者でもないようなミュージアムショップで、ステッカーを買って帰ってるんだろうな。先日の朝日新聞で、大林宣彦監督が、尾道の「大和実物大セット」の件で吠えていた。なんとなく明後日の方を向いて吠えていたような気もするが、その意味では正しいだろう。観光資源だから美化よりいいとは言えない。美化しなければ観光資源にもならないのだから。(06.5.19)

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