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【映画】GAMA−−月桃の花

GAMA——月桃の花   
監督/大澤豊 1996年作品

 アオリ文句のひとつは「沖縄の”平和の礎”を映画化」だった。確かに「平和の礎」が大田=平和=県政の象徴だとするならば、その通りの映画であった。

 沖縄に一人の青年が降り立つ。沖縄生まれの母と米兵の父を持つジョージ(川口慈英)が、祖母・宮里房(玉木初枝)から自分のルーツを聞くためにアメリカからやってきたのだ。彼は偶然出会った糸数文子と二人、祖母を訪ねる。文子は「平和の礎」の刻銘のために聞き取り調査をしているのだが、房は自分の体験を語ろうとしなかった。

 物語は入れ子になっている。「平和の礎」をめぐる現在(一九九五年)の中に、房の語る沖縄戦の物語——パンフレットによると、以前より演劇としてあった「洞窟(ガマ)」——がすっぽりとはめこまれている。この二つの部分の違和感は、房役の玉木初枝(現在)から朝霧舞(過去)、もう一度玉木へ、という転換の際の演出的・技術的なものだけではない。現在を創る力のあやうさ、あやふやさである。

Book沖縄戦 ある母の記録―戦争は親も子も夫も奪ってしまった…

著者:安里 要江,大城 将保,石川 真生
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 4歳の真吉(島袋利音)と1歳の和子を抱えた房は、夫を防衛隊にとられ、義妹とその子、義父、実母と共に、中城から首里へ、そして摩文仁へと逃げまどう。隠れた亀甲墓は日本兵によって追い出され、艦砲で義父が、機銃掃射で義妹とその子が殺される。そして足を撃たれて動けなくなった母をも途中で置き去りにせざるを得なくなる。さまよった末に見つけた「コウモリガマ」という洞窟では、軍人と民間人とが時に反目しながら生活していた。日本軍人のステロタイプの軍曹(沖田浩之)、「それだからウチナンチュは馬鹿にされるんだ」と言って「日本兵」になろうとする沖縄出身兵、兵士たちに連れて来られたのであろう朝鮮人の女性(「慰安婦」?)たち。ガマの中のまとめ役のノロのおばぁ(平良とみ)、乳飲み子を抱え精神的に追いつめられていくウメ、ガマからガマを商売して歩く亀助、孤児となった勝男(島袋匠造)。やがて食糧は底を尽き、アメリカ兵が壕に馬乗りになる。

 特に印象に残るのは、「ひめゆり」の女学生だ。終始思い詰めたようなぶっきらぼうさを持った彼女が、伝令兵として彼女の幼なじみがガマにやってきた時に、一度だけ感情を爆発させる。彼女をねぎらおうとした彼が負傷兵の「自決」の話に触れたとき、彼女はそれまで抱え込まされていた重荷を一気に吐き出す。「あれが『自決』なものか」と。そしてガマが追いつめられたとき、彼女の「天皇陛下万歳!」の一声から手榴弾は炸裂する。

 過去——「ガマ」の部分には、沖縄戦に於いて語られる、およそすべてのことが無理なく詰まっている。いい意味で乾いている。それが逆にリアルさを感じさせていた。しかし、なのになぜ、現在の部分ではその演出力が全く発揮されないのか。

 ジョージの父はアメリカ兵だ。アメリカ兵として沖縄に駐留し、和子と恋をし、房の反対を押し切って結婚、そしてベトナムで戦死。米軍基地のフェンスの脇で、ジョージと文子が話している。文子が基地に対する嫌悪感を示すと、ジョージは「だけど米軍が日本を守っているんだよ」ということを言う。と、文子は激して基地によってどんなに地元の人間が被害にあっているのかをまくしたてる。ジョージはすぐにしゅんとして、「それはすみません」みたいに謝ってしまう。文子の運転する車で来てるから喧嘩したくないにしても、そんな簡単に謝っちゃっていいわけ? とか思っちゃったりするのだが。

 それら、ジョージも、ジョージの父も、彼を愛した和子も、すべて現在、あるいは近い過去の沖縄を表すものでありながら、おざなりな印象しか残さない。「ガマ」の部分の強さと重みを差し引いても。かたくなな老婆とやさしく、根気よく彼女に接する調査員、基地被害を訴える沖縄女性と無頓着なアメリカ人、「アメリカ人を許せないですか」と悲しそうに言う若いアメリカ人と「アメリカが嫌いなんじゃない」とつぶやく老婆。映画は老婆の語りの帰結として「礎」に刻銘された彼女の夫、義父、子どもたちの名前を映し出し、やがて「平和の礎」の全景、さらに引いて沖縄の全景へと、おそらく物語を終えて帰国するジョージの視点で幕を閉じる。

 プロパガンダだなあ。どうしたって大田県政プロパガンダだよ。なんでこうなっちゃうんだろ。「ガマ」の部分はあんなにいいのに。

 「礎」そのものの発想も含めて、やっぱり向いているのはアメリカだ。アメリカ相手にどう(多分に基地問題を)交渉するかの過程で創られた映画なのだな、よくも悪くも。「平和の礎」自体の問題性は、以前に本誌でも取り上げられていると思うのでここでは触れないが、一人一人の体験がこんな風にプロパガンダに収斂されていいはずはない。何ものにも取り込まれずに戦争や死者を語るということは、それほどまでに難しいのだろうか。この「ガマ」は、安里要江さんの実体験に原案となっている。しかし、それでは、映画の最後に映し出される「礎」の「宮里和子」たちはどのような死を強いられたのか、やけに気になった(それともレプリカ?)。

 閑話休題。朝霧舞は素晴らしかった。彼女の「○○したんさ〜」という語り口は心地よく優しい響きを持っていた。日本兵に迫られて和子を泣かすまいと必死に抱きしめる房、すべてが終わった後のガマの前に佇む房は無性に美しかった。真吉と勝男を演じた二人の子役、特に勝男の表情は特筆もの。それから沖田浩之! 往年のファンにとってはあのふくれたほっぺはなんとも悲しいぞぉ。
(「月刊フォーラム」1997年5月号)

【補】今はなき、フォーラム90sの機関誌「月刊フォーラム」で連載していた「みーはーキネマ」の初回。事実上のデビュー作ですな。うーん、懐かしい。沖田浩之ももう亡いしなぁ。同い年なんだよなぁ。平良とみは相変わらず元気だけどなぁ。ていうか、他に沖縄におばぁはいないのかやっつーくらい、あらゆるものに出てるぞ。「平和の礎」はその後、やっぱり天皇だの首相だの大統領だのが出かけていって、ヤスクニの役割を果たしつつある。作った側の志だけじゃどうにもならないものって、作ってしまえばそうなるのよ。('04.5)

【さらに】アフェリエイトで貼ってある本が、主人公の房のモデルとなった安里要江さんの体験記。いわば原作本です。ぜひご一読を('09.5)

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