フォト

最近のトラックバック

Amazon Search

無料ブログはココログ

« 【映画】GAMA−−月桃の花 | トップページ | 【バレエ】雑記帳 (5)  シヴァコフをめぐるパートナーたち »

【映画】桃太郎 海の神兵


監督・脚本・演出/瀬尾光世 1945年作品 松竹 白黒 74分

叙情が戦意を昂揚する

 いいかげん、たまったビデオを整理しようとラベルのないテープを再生したら、いきなり荻昌弘が出た。びっくりした。土曜ロードショーの枠で「桃太郎 海の神兵」を放送したときのものだった。瀬尾光世と手塚治虫の座談会がついていた。すごいな。CMから推測すると八七年の放映。ううむ。ちなみに私は戦後五十年企画として映画館で観ている。

 さて、本編の方は、海軍省に委託され、後援を受けて制作されたアニメーション。冒頭に「メナド降下作戦に参加せる海軍落下傘部隊将士の談話による」とある。敗戦時に焼却されたと言われていたが、後にネガが発見され、八四年に再公開された。

 字幕が消えるといきなり富士山。のどかな山間の農村に、雉、犬、猿、熊の水兵たちが帰郷していく。あくまでも美しい田園風景。四人(匹?)はまず村の神社にそろって拝礼をすませ、それぞれの家に帰っていく。熊の家では年老いた両親が端午の節句の用意をし、犬の両親は畑仕事に精を出している。


 猿の村では村中の子どもたちが出迎えにくる。故郷に錦を飾るとはこのことだ。猿が大勢の子どもたちの前で海軍の話を聞かせている間に、弟の三太は兄の海軍帽をそっと持ち、川面に映して兵隊ごっこ。そのうちに飛ばされた帽子を追って川に流されてしまう。猿と、かけつけた犬とでの救出劇は前半のクライマックス。そのスーパーマンぶり(昔懐かし漫画映画調)がいかんなく発揮される。帰り道での「富士山の見える村」とたんぽぽの原の風景は、小関裕而の叙情的音楽と相まって、不覚にも落涙しそうな場面だ。

 唐突に、南の島。「海軍設営隊本部」のウサギたちが「現地住民」(って動物だけど)を指揮して飛行場を設営している。島の場面はほとんどがミュージカル仕立てになっており、今日まで評価が高い。ひるがえる旭日旗の向こうから、飛行機の編隊がやってくる。桃太郎隊長率いる落下傘部隊の到着である。もちろん犬猿雉に熊もいるが、ここからの彼等は「全体の中の一員」でしかない。彼等は「主役」ではないのだ。「現地住民」たちは初めて見る飛行機にびっくりしつつも歓迎のもてなし。皇民化教育の第一歩、「日本語学校」が始まる。そして落下傘部隊へ出撃命令。

 ここでさらに唐突に「ゴアの王様が白人の商人を装った海賊にだまされて国を滅ぼされるの話」が挿入され、「白馬にまたがる神の兵が民族を解放する」との予言がなされる。

 ついに出撃。ここからはあっという間だ。降下兵たちの機内での様子が克明に描かれ、やがて降下、白人との戦闘に勝利し、ほとんど「山下ーパーシバル会談」のような桃太郎の降伏勧告。そしていよいよ唐突に猿たちの村に画面が変わり、子どもたちの訓練ごっこと三太の少しだけ成長した姿が描かれ、富士山のカットでまったく唐突に映画が終わる。

 制作当初、七〇人揃えたスタッフは、徴兵・徴用され最後は一三人となったそうだ。「ちょっと習熟すると徴用される」と瀬尾が愚痴っていたが、白人たちの無惨な作画や唐突な終わりは、そのあたりの事情を思わせる。

 この映画の眼目はよく言われるように、従軍までして描いた落下傘部隊のリアルさや白人の戯画化にあるのでは、必ずしもない。一つは「守るべきもの=祖国」としての「郷土」「家族(とりわけ子どもら)」の明確化である。冒頭に兵らが帰郷するのはまさにそのためである。美しく叙情的な風景と音楽が「守るべき祖国」を心に刻む。出撃を前に届いた慰問袋の中の、泣いて餌をねだるばかりだった弟妹が日の丸の腹掛けをして枝に止まる写真に雉は目頭を熱くする。「何のために命をかけるか」が極めて明瞭に示される。

 もう一つは「現地住民の支持」である。名高い「アイウエオの歌」のシーンは、以前見たときには「そして洗濯したりしながらみんなで歌うようなブームになりました」という話のような気がしていたのだが、改めて見ると洗濯にせよ炊事にせよほかの労働にせよ、すべて軍務である。「現地住民」が兵站に奉仕し、教育を受け、さらには「民族の解放」を待ち望む。そういう「皇軍」として部隊を位置づけるシーンでもあるのだ。

 海軍省は「悲惨すぎる」として偵察機で戦死した兵士の葬送シーンをカットし、出撃シーンを含め全体として「平和すぎる」とこの映画を評価しなかったらしい。荻や手塚の論もそのあたりでまとめられている。しかしこれに「美しい葬送シーン」があれば、さらに「守るべき者と、倒すべき相手」がはっきりとしたにちがいない。降下シーンが「勇壮な」音楽ではなく「平和すぎる」音楽のおかげで効果をあげていることも間違いない。音楽が美しいからこそ、人は心を奪われ、戦死した「英霊」に落涙するのである。

 美しく叙情的である故に、この映画は怖ろしい。一見尺の配分を間違ったように見えるこの映画は、偶然か瀬尾の計算かは知りようがないが、それ故に「戦意昂揚映画」たる中身を持ったのだ。もっとも封切り初日(四五年四月)に観た手塚は「その頃は疎開が進んで、子どもは誰も映画館にいなかった」うえに「周囲の焼け野原とのギャップが大きく、映画の中のことは嘘だと思った」そうで、まったく「戦意昂揚」の役には立たなかったらしい。

 余談。リアルさはむしろ、機内で緊張のあまり食後にしゃっくりしたり、袖をまくったりおろしたりをひっきりになしに繰り返す熊の描写などにある。桃太郎と猿の顔はかなりエグイ。ウサギの整備兵は可愛くかつ凛々しいこの世界の王道。印象に残るのは降下前、飛行機の降下口に立ちつくす桃太郎の姿である。桃太郎自身には人格も背景も設定されていない。彼の唯一「何かを思う」姿である。
 (「運動<経験>」13号 '04.12)

【補】書いたのは2ヶ月は前じゃないかなー。父がビデオに撮っておいたのを友人に頼んでダビングしてもらったもの。もう持ってることも忘れてたよ。何でもとっておけばネタになるんだねぇ。荻昌弘は映画評論家の中ではかなり好きな部類だったのだが、割に早く亡くなってしまって残念だった。だけどこういう場面になるとやっぱりノスタル爺になっちゃうんだなー。どのみちこれも、大人の見た文章であることに変わりなく、手塚治虫だって封切り当時20歳だから、本当に当時の子どもがどう見たか、は知りたい。まあ、手塚の言うとおり、映画館のあるような都市には学童はいなかったろうし、就学時前の子どもじゃ覚えてないだろうし。ちなみに松竹から出ているビデオは今品切れのようですが、「くもとちゅうりっぷ」とのカップリング。こちらは全編を見ていないので是非見たい。どうせなら「桃太郎の荒鷲」と組んでくれよ、とも思うが。(05.1.26)

« 【映画】GAMA−−月桃の花 | トップページ | 【バレエ】雑記帳 (5)  シヴァコフをめぐるパートナーたち »