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【映画】落葉

落葉

オタール・イオセリアーニ監督/1966年作品/グルジア映画/原題:ΛИСТОПАД

 作品情報は「goo−映画」(こちら)より。

 映画はまずグルジアでのワイン作りの場面から始まる。ここはセリフなしの音楽だけ。ぶどうの収穫、そのぶどうを各家の丸太舟のような……何て言うんだ、あれ……に入れ、足で踏んで出た果汁を舟形の下からパイプで地下の貯蔵庫に流し込む。そしてできたワインと宴会。ただ白黒映画だからなぁ。ワインがいまひとつおいしそうじゃないんだな。ワインってやっぱり色も味のうちなんだろうなぁ(ぢぶん、白しか飲めませんが)。

 場面は変わってトビリシ(と、後のトークで言っていた)に。主人公のニコ(ラマーズ・ギオルゴビアーニ)はビートルズカット(死語だなー)の気のいい青年。小さい妹たち(3人?4人?)とおばあちゃんと母とアパート住まい。友人のオタル(ゲオルギー・ハラバーゼ)は抜け目ない世渡り上手。二人はワイン工場の従業員募集に技師として応募し、採用される。好奇心いっぱいで労働者の仕事を手伝い、一緒に飲み、遊び、溶け込んでいく二コと、対称的に管理職然とふるまうオタル。二人は美人研究員のマリナ(マリナ・カルツィワーゼ)を口説こうとするけれども、マリナは二人を含めた何人もの男を手玉に取っている。

 さて工場では、49番樽のワインをめぐってもめていた。とても出荷できるような出来ではないのに、上の「計画」(政府からのノルマですな)に従って出荷しなくてはならない。試飲した担当の二コは出荷の書類にサインを拒み、技師の会議でひとりだけ反対する。「ゼラチンを流し込んで、2週間かけて不純物を沈殿させるしかない」。技師たちは言う。「わかってるけど、仕方ないんだよ、もっと大人になりなさい」。

 休日。マリナのアパートの前では、何人もの男が鉢合わせ。マリナと友人の仕組んだ「遊び」だ。入口に陣取るコワモテの隙をかいくぐって、マリナの部屋に入る二コ。だが、マリナの友人と3人で過ごすうちに、自分が彼女たちとは相いれないことに気づく。引き止める2人を断って帰る二コは、まだアパートの前に陣取っていたコワモテと殴り合い、目に大きなアザを作る。やりきれなさに友人たちの家を回る二コ。しかしうまい気晴らしにはならず、家に帰っても家族に当たってしまう。

 翌朝出勤した二コは、人が変わったように労働者たちに高圧的にふるまい、49番樽の出荷許可証にサインをし、その49番樽に溶かしたゼラチンを流し込む。オタルが見とがめて騒ぎとなり、二コは工場長室へ呼ばれる。工場長はビリヤードに興じながら、ニコにひとこと「よくやった」と言う。

 ユーラシア研究所ほかの主催の「グルジア 映画・文化・歴史」という催しで見たため、終了後に主催者の井上徹氏、大阪大の前田弘毅氏、トビリシ大のクパタゼ氏のレクチャーがあった。
 まず監督のイオセリアー二は、34年生まれ。モスクワの大学で数学などを学び、卒業しないままに映画学校に転校。卒業製作として撮った「4月」は実験主義的な面が強く、もっと生活に根差した作品を作るべき、と批判を浴びた。そのため、製鉄工場へ労働者として就職、その経験を活かして撮った「鋳鉄」(記録映画)によって、映画学校を卒業する。「落葉」は初長編映画で、カンヌ映画祭で受賞。その後、ソビエトでは活動できなくなり、79年にフランスへ移住。以降、現在に至るまでグルジアへは帰らず、フランスを拠点に映画を製作している。が、84年にはグルジア人民芸術功労家を取っている。また、ソビエト映画の通例としてこの映画にもロシア語吹き替え版/吹きかぶせ版(音声がかぶっている)があるが、監督がその上映を許可していないので、上映される機会が少なくなっている。(以上、主催の井上氏)

 グルジアの映画・文学などには「象徴と比喩」によるコードが多く埋め込まれており、この映画にも多数ある。例えば出来の悪いワインの入った49番の樽。49という数字は「1966-1917」すなわち映画の製作年からボルシェビキ革命の年を引いたもので、「革命から49年後の現在のソビエト社会」を表している。その最悪のワインの出荷を阻止する=世に出さないために青年二コは奔走する、というのが裏の意味。二人の主人公のうち、二コは自由と「自分が何をすべきか」を模索する青年として、オタルはニコとは対称的に、典型的なコムカブリシ(若い共産党員)として描かれている。当初普通に公開されていたが、政府がある日この「49」の意味に気づき、以後ペレストロイカまで上映禁止となった。(以上、クパタゼ氏。通訳の前田氏が聞きながらくすくす笑ってました ^^)

 冒頭のワイン作りの場面は、映画の本筋とは関係ない。が、本来のワイン作りとはどのようなものであるか、を示すとても重要な場面だ。素朴で貧しいけれど豊かな暮らし。60年代ソビエト下のグルジアがどのような状況だったかはわからないが、本編で描かれる都市を見るに、「失われていく人間らしい生活」としてここにある意味は大きいのだと思う。

 二コとオタルという二人の青年の対称性はクパタゼ氏の話にある通りだけど、それに加えてもう1人、ヒロインのマリナはこの都市の退廃性と無関心さを表す存在として描かれている。彼女は研究員ではあるが、主な仕事は団体客を引率して、工場の中を見学させることである。技師の会議にも出席していないし、49番樽の問題にも関与はしない。生きることそのものにそれほど関心もなさそうだ。二コの持っている青年らしい無邪気さとかたくなさとに何かをつかみかけるが、「かける」で終ってしまう。
 オタルを含めた周囲の「長いものには巻かれろ」は徹底している。二コなんて、工場長の息子(小学生?)にまで、「もっとうまくやんなきゃ」って諭されちゃうんだから(笑)。労働者の素朴さと知識階級(この映画では「技師」)の狡猾さというのもちょっと図式的ではあるけど。

 49番樽の出荷をめぐる「計画」というのは、ソビエトの計画経済によるノルマのことだから、その辺りは今見るとわかりにくいかもなぁ。ほかの樽の出荷も同様で、瓶詰めにしている労働者たちが「今日は何日?」と確認し、「家族や友人たちに伝えてくれ。◎月◎日の製品だけは飲んじゃいけねえと」と、みんなで十字を切って神に許しを乞うたり。入った酒場でワインの瓶を確認し、日付を見て店を出ていっちゃったり。でも、冷戦時代の共産主義圏の製品って本当に劣悪なのがあったよねえ、というのもこれを見るとちょっと納得かも。

 ゼラチンのくだりがちょっとわからないんだよな。ほかのレビューを読むと「出荷できないように固める」ということらしいんだけど、49番樽をどうしたら出荷できるかと聞かれたときに「ゼラチンを入れる」と二コは答えているわけで。

 レクチャーによれば、この映画は82年に岩波ホールで公開されたとか。よくも悪くも「岩波映画だなー」という映画ではありました。
 
当日の日記

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