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【映画】シャネル&ストラヴィンスキー

シャネル&ストラヴィンスキー

監督/ヤン・クーネン 2009年作品

 一九一三年。伝説となった、バレエ・リュスの「春の祭典」初演。ブーイングとブラボーとが交錯するその客席に、ココ・シャネル(アナ・ムグラリス)はいた。そして数年後、ロシアから亡命し、困窮したストラヴィンスキー(マッツ・ミケルセン)を紹介されたココは、パリ郊外にある自分の別荘に彼の一家を住まわせ、奇妙な共同生活を送る。繰り返される二人の情事。「シャネルの五番」の完成。ストラヴィンスキーへの失望。そしてココはバレエ・リュスの主催、ディアギレフ(グリゴリイ・マヌコフ)に「春の祭典」再演への匿名での出資を申し出る……。

 どうしようもなく、独りでしか生きられなくなってしまう人というのが、世の中にはいるものだと思うが、この映画におけるココはまさに「そういう人」だ。特に独りで生きたいとか、独りで生きるぞ! と決意するわけでもないのだが、自分の思うように生きようとするとそうなってしまう。そういう女性にとっては、男というのは「同志」か「くまのぬいぐるみ」かになりがちだが、「同志」かに見えたストラヴィンスキーは「くまのぬいぐるみ」としても特段上質ではなかったようだ。上質ではなかったから愛してないかというとそういうわけでもないのだが、これは、そんなココの失地回復物語……でもある。

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 あの革命的だった「春の祭典」の初演。振り付けたニジンスキーはすでに「牧神の午後」で「バレエ」のイメージを覆す急進的な作品を発表していたが、彼のためにストラヴィンスキーが用意した「春の祭典」もまた、それまでの「バレエ音楽」のイメージを覆すものだった。ココはそのあまりにも革新的な舞台と、それに騒然とする客席との中にあって、時代の先端を切り拓いていく自分と同種のものを見いだしたのではないだろうか(楽屋でニジンスキーに向かって「お前のせいで失敗した」と怒鳴るストラヴィンスキーをみたらさぞがっかりしたろうと思うのだが)。

 別荘でのストラヴィンスキーは「音楽」への扉を開けてくれる、頼りがいのある男(なにせ四人の子持ちだ)だった。好奇心旺盛で、すべてを自分の中に取り込んでしまうココにとって、未知の世界を持っている男というのはそれだけで魅力的だったろう。そして、……「この女は自分に惚れてる」と思った時の男って、どうしてこんなにつまんないんだろうな。「自分は芸術家だが、君は洋服屋だ」というストラヴィンスキーはただの小男。ココはそんなことでプライドを傷つけたりはしない。ただ幻滅し、失望するだけだ。「けっ、こいつもかよ!」とは言わないだろうが。

 「春の祭典」の再演の成功で映画は終る。彼と出会った初演の舞台。再演を自らの手で成功させることこそが、ココの男としてのストラヴィンスキーとの幕引きであり、芸術家としてのストラヴィンスキーを評価した自分自身への納得であったろう。ケジメというのはこうしてつけるものでもあるわけだ。

初出:「インパクション」173号(2010.3)

【補】担当のSちゃんから「くまのぬいぐるみ、出てくるんですか?」と聞かれたので補足的に。つまり、ぢぶんはこれまで3人の男と(3ヶ月から8年間まで、長短それぞれに)暮らした経験があるんですが、3人が3人とも「別れるの別れないの」になった際にですね、「オレはきみの『くまのぬいぐるみ』じゃない!」といいやがりましてですね(笑)。最初の2人めまではともかく、さすがに3人コンプリートした時には、やっぱりこれは自分に何か問題があるんじゃないかと真剣に考えまして。真剣に、ずーっと心の奥底の方までたぐっていった結果。

 「だって欲しいのは『くまのぬいぐるみ』なんだから、そりゃしょうがないじゃないか」

 Sちゃんには大ウケでしたが。そんなにウケなくたっていいだろ。

 ……ココにとってはボイが「同志」だったんだろうけどな。一度は破綻したココとストラヴィンスキーが、ストラヴィンスキーの入浴中に「和解」するのだけど、あそこでふっとストラヴィンスキーの髪に手をやるココを見て、「あ、くまのぬいぐるみになったんだな」とぢぶんは思ったわけです。愛してないわけじゃない。でも「共に闘う同志」じゃない。見下してるわけでもない。でも「高め合う相手」でもない。そばにいてほしい。でも委ねるつもりはない。それを説明するのはひどく難しいけれど、それもまた「愛」のひとつの形であると思うのですよ。……っていうか、男女が逆ならごく普通の「愛」の形であるようにも思うけどな。

 本文とは論旨がずれるので書かなかった細かいこと。つまり「匂い」。映画だから匂いはしないけれど(まったく幸いなことだ!)、ストラヴィンスキーの妻の「肉体が腐っていく匂い」とココの香水への傾倒を重ね合わせ、ココが徐々に妻(と家族)を侵食していくさまと、それへの妻の恐怖と拒絶がかなりリアルです。それは屋敷にきた当初の、白と黒の「モダンな、趣味のいい」ココ自慢の部屋に、ショール等の色味で抵抗を試みるその姿にもよく現れています。自分の領分を侵されまいとする、せめてもの抗い。貪欲にものごとを吸収していくココは、それすらも自分の中に取り入れていくのだが。

 本文でも書いた通り、最後の「春の祭典」再演の成功は、ココ自身の失地回復だった、と思う。だからこそそれは自分の出資でなければならないし、それをストラヴィンスキーに知られてはならない。自分の「芸術を見る目」がまちがってなかったことの証明だから。……男を見る目はともかくとして。

 いやー、それにしてもアナ・ムグラリス、かっちょいいなぁ。元々シャネルのモデルだったとかで、シャネルのスタイルが似合うのも道理。背筋の伸び具合がなんともいいのです。

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