フォト

最近のトラックバック

Amazon Search

無料ブログはココログ

« 【バレエ】モンテカルロバレエ団Aプロ | トップページ | 【バレエ】ウィンナー・ガラ »

【映画】ヒョンスンの放課後

ヒョンスンの放課後

監督・プロデュース・脚本:ダニエル・ゴードン/2004年作品/イギリス映画

 「気味の悪いもの」の喩えとしてよく使われるものに「北朝鮮のマスゲーム」がある。揃いすぎていて気持ちが悪い、というのがそのココロというわけだが、これはそのマスゲームを演じる少女のドキュメンタリー。

 平壌に住むヒョンスンは十三歳。祖父は建設現場で重機を操り、父は役所の運転手という労働者階級の家の一人娘。すでに二度、体操でマスゲームに選抜されたことがある。仲良しのソンヨンは、ヒョンスンと同じ体操クラブに通っている十一歳。父親は大学の物理の助教授という知識階級。二人とも、次のマスゲームに選抜されることを目指して、毎日放課後にクラブで練習に励んでいる。映画は二人の日常を軸に、北朝鮮の政策、歴史、そこに住む人々を写し取っていく。

 監督は、北朝鮮のサッカーを描いた「奇蹟のイレブン」を撮ったイギリスのダニエル・ゴードン。イラク戦争開戦の前後、平壌に八ヶ月滞在してカメラを回した。

 ヒョンスンの祖父や祖母の語りは印象的だ。朝鮮戦争の時の米軍の爆撃。その後の「苦難の行進」。そして九四年の経済封鎖が彼らに落とした影。ヒョンスンの家族だけでなく、多くの人がその記憶を共有している。ソンヨンの父の友人に会いに、平壌から五〇キロ離れた農村に行くシーンがあるが、そこではさらに経済封鎖は忘れられることはない。それが「自主独立」の決意を強め、結果的にアメリカの思惑とは逆の方向に働いたことが裏付けられる。そしてイラクとともに敵国として名指されたことが、彼らの神経をさらにとがらせている。ここで北朝鮮政府のプロパガンダを云々してもあまり意味はない。問題は「彼らがそう思っている」ことにあり、その人々に向かって「経済制裁」を言い続けることの意味に、どれくらい自覚的であるかにある。

 「個人の欲を殺し全体に奉仕する」という思想の体現として位置づけられたマスゲーム。しかし、そこで演技する一人ひとりは、やはりただの一人ひとりでしかない。ヒョンスンもソンヨンも、宿題をしないでテレビを見ては母親に叱られ、家族でピクニックに行ってボートに乗る、ただの中学生だ。厳しい練習の合間に、一人の少女がみんなからはやされて、「将軍様」の歌を歌いながらおどけて踊る場面からは、むしろ「別段、歌の中身が何であれ同じ」なのが伝わってくる。大体「天皇の代がいつまでも続きますよう」なんて歌を強制される国で、「将軍様」の歌を笑えるだろうか? しかも彼らは国の政策の元に「洗脳発言」を語っているのに、まったく「自由」なはずの社会でも皇族をありがたがったり、日の丸を背負ったりする精神の方が、私にはよほど恐ろしい。北朝鮮は、「共産主義国家」というよりも「天皇主義国家」に見える。

 世界中どこにも、ミサイルの照準を合わせてよいような人はいないのだという当たり前のことを、もう一度確認しなくてはいけない情勢がツライ。
(初出:「インパクション 152号」2006.6)

【補】いろいろと付け足してからアップしようと思って放置され、そのまま「何を付け足すんだったか」忘れてさらに放置された原稿。文中の「洗脳発言」とは「日本で「あれは洗脳されたから/発言が監視されているから、ああいうふうに言っている」とされる発言のこと。

 相変わらず(というよりも以前よりひどく)「北朝鮮」という国は揶揄と嫌悪=何を言ってもいい相手、として扱われていて、ほとほとうんざりする。自分たちが知っているかの国は、ほんのうわっつらの、しかもバイアスのかかった一部でしかない。さらに、かの国からみたら、日本という国のふるまいはどうみえるだろうかと考えることすらしない。そのくせ、かの国を揶揄することが、知的で気の利いたふるまいだと思って、仲間内で悦に入る。

 年に3万の自殺者を生み、生活保護受給者や障害者を切り捨て、都市で餓死者を出し、警察と右翼が結託してデモ隊を襲い、公安警察がデモ参加者の撮影を続け、保育所に子どもを預けることもままならず、事故から1年経っても放射能を垂れ流している一方で、ミサイル防衛に巨額を費やし、米軍に「思いやり予算」を出し続け、天皇一族のために「庁」すら持っているこの国とその「国民」が、手をたたいてかの国を嗤うそのグロテスクさは一層ひどくなるばかりだ。(2012.4.15)

« 【バレエ】モンテカルロバレエ団Aプロ | トップページ | 【バレエ】ウィンナー・ガラ »