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【映画】311

「311」

森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治共同監督/2011 
 
 森達也、綿井健陽、松林要樹、安岡卓治。ドキュメンタリストの精鋭たちが一台の車に乗り込み、東日本大震災の現場へと向かう。震災をその目で確認するために……。

 とくれば、いやがうえにも高まる期待。しかし、そこでなされる「期待」とはなんだろう?

 少なくとも、こうではなかったはずだ。三月二十六日、車に据え付けられた放射線検知器。しかしカウンターの読み方はよくわからない。手持ちのガイガーカウンターはわかる。数値はどんどん上がって行く。交通規制の隙間をくぐって、退避勧告地域に入る。立ち寄った集会所はもぬけのから。現地の店でタイベックスを買い求め、車内にビニールを貼って窓を養生テープで目張りし、出かけた翌日は途中でパンク。2μSv/hを軽くオーバーする路上で悪戦苦闘のタイヤ交換。福島取材を断念して向かった宮城でも、四人は微妙に空回りを続ける……。


 「誰も、観たくなかったはずのドキュメンタリー」。この映画につけられたキャッチフレーズに、自分も含めた大概の人は、スクリーンに現れる凄惨な現場、多くの悲劇、ああこれは本当に起きてはならない災害だった、と思わせるあれこれを思い描きはしなかっただろうか。そうしたものも、確かに映されてはいる。しかし、これは「311」を巡る映画であっても、「311」を描いた映画ではない。「311」を現認しに行った、その時点では映画を作るという方針すらないドキュメンタリストたちを描いた映画ーー意図してか、せずかは別にしてーーになっている。あるいは、作られなかった本編のメイキング、であるかもしれないし、あまた作られた「311」のドキュメンタリーのメイキング、といえるかもしれない(ほかの映像作家に叱られそうだが)。

 実をいうと、森達也の本は何冊か読んでいるが、映画を見たことがない。なので、本作での彼のインタビューの滑り具合が、どれほど「いつものこと」なのかはわからない。しかし、「こういう答えがかえってくるであろう」ことを想定したとおぼしき彼の言葉は、宙ぶらりんとなる。別の場所で同じことを聞く。また宙ぶらりん。その居心地の悪さは、映画の観客の居心地の悪さでもある。震災直後、あるいは進行しているといってもいい状況で、テレビに張り付きながらマスコミの取材に悪態をついていた人々。その「悪態」は「正しい」ものであったかもしれないが、この映画ではその「正しい悪態」は観ている者に向かっても突きつけられる。被災者からではなくむしろ自分自身の内側から。自分はこの1年余り、何を観たがっていたのだろう? 何を消費してきたのだろう? 「観たくなかった」のは取材者である彼らの姿であり、彼らという「鏡」に映される我々の姿ではなかっただろうか。

 夕暮れの中、被災地を立ち去る彼らの後ろ姿の「とほほ感」が半端でない。それは引き寄せられるように現地に入った多くの報道者たちの「とほほ」でもあり、それを消費し続ける我々の「とほほ」でもあるように思われる。

(初出「インパクション」186号 2012.8)

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