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【映画】EDEN

EDEN

武正晴監督・2012年

 亡き原田芳雄が企画を温め続けていたという、船戸与一「夏の渦」の映画化が、山本太郎という役者を得て実現した。

 新宿二丁目のショーパブ「EDEN」の店長兼ショー演出家の「ミロ」(山本太郎)の四十二歳の誕生日。飲み過ぎた店の仲間「ノリピー」(入口夕布)を家に連れて帰ったミロが目覚めると、心臓の悪かったノリピーは急性心不全で死んでいた。屈辱的な警察での取り調べから帰ると、今度は店のオーナー(高岡早紀)がストーカーに襲われたとの知らせ。店のメンバーとストーカーの勤務先の進学塾に乗り込んだミロは、偶然、店の常連客アカネ(中村ゆり)と出会う。沖縄出身のアカネもまた、人には言えない傷を抱えていたが、ミロの励ましに力を得て、同郷の金城(仲井真徹)に心を開こうとする。その夜、店での誕生バーティーに今度は警察がやってきて、「親族が遺体の引き取りを拒んだ」と、棺ごとノリピーを置いて行く。「ノリピーを家族の元に帰そう」。ミロたちはトラックに棺を積み、千葉へと向かう……。

 「EDEN」のメンバーがそれぞれにいい。偏見、無理解というよりも「無知識」、家族との葛藤、家族と地域との葛藤。その中でひとりひとりがナチュラルに存在しているのが、多分映画そのものの「気持ちよさ」となっているのだろうなあ、と。常に毅然としたエルメス(高橋和也)、情に厚いペペロンチーノ(齋賀正和)の二人の「大きいお姉さん」、そして山本太郎はまさに今の彼のために作られた企画かと思うほど、ぴたりとはまって目が離せない。

 映画の山場はノリピーの家族との対面になるわけだけど、ひとつひとつのエピソードが細やかな情にあふれている。中でも、進学塾へ乗り込む場面がすごくいい。素直に疑問をぶつけてくる子どもたちとそれへのミロの応答が鮮やかだ。そして千葉から帰って、疎遠にしていた母に一人店から電話をかけるミロ。それまでの、時に鼻にかかるようなしゃべり方から次第に東北言葉に変わっていくさまは、身にまとったいくつもの虚飾やしがらみを徐々にはがされ、裸の「人」そのものに帰っていくかのよう。役者・山本太郎の本領発揮だ。彼を使わない映画界はほんとにクズだよ!

 一方、アカネにとって「EDEN」は自分が「性」という欲望の対象にならない楽園=「ニライカナイ」であったはずが、そこへ金城を誘おうとした途端に、それはがらんどうな虚構となる。そこでアカネは否応なく自分の傷と向かい合わされ、「ニライカナイ」は逃げ込む場所ではなく、金城とともに作り上げねばならないものであることが示唆される。が、その後の二人が描かれないので、最後の披露宴は唐突に見える。とはいえ、エピソードを挟む隙もないんだよなあ、確かに。

 ラストシーン、ミロのアパートの住人たちを含んだ様々な「はぐれ者」による海辺のパレード(「ええじゃないか」を彷彿とさせる)は、自分たちはここにいる、自由に振る舞う、というさわやかで誇らかな宣言である。
(初出「インパクション188号」2013.1)

【補】ぢぶんは、いわゆる「表象としてのゲイ」といいますか、記号化されたゲイ、というのに苛立つとともに、それをおもしろがる人にもすごく苛立つタチなので、実は警戒しながら見に行ったんですけども、そんな自分を申し訳なく思うくらいに面白い映画だったな。というのも、ひとりひとりが「等身大」に描かれているからなんだな、と思い至った。ギャグのためでもなく、かざりのためでもなく、「人として生きてる」姿がちゃんと描かれている。

 アカネのパートは、大事なことが盛り込まれてる分だけ、ちょっともったいない感じは残るけど。まあそれは「EDEN」の外でのできごとであるのも確かなのか。と思えば「EDEN」という店名自体がなかなか奥が深い。「生々しい性」はその楽園にはなかったのだから。

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