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【映画】家路

家路
久保田直監督/2013年

 福島第一原発事故によって警戒区域となった村に、かつて村を追われるように出て行った次郎(松山ケンイチ)が、人知れず帰ってきて暮らし始めていた。その家に住んでいた兄の総一(内野聖陽)とその妻(安藤サクラ)と娘、母(田中裕子)は逆に事故によって村を追われ、仮設住宅で暮らしている。仕事もなく、デリヘルで働く妻をつけ回す鬱屈した毎日をすごす総一。母には認知症の兆候が現れ始める。そんな中、自殺した同級生の車を引き取りに警察に行った総一は、次郎が警戒区域の家に住んでいることを知らされる……。

 次郎がなぜ村を出たのか、次郎と総一と母との関係、そしてなぜ「今」次郎が帰ってきたのか。それは次第に明らかになっていくが、かつては理不尽と思える形で別れた兄と弟(と母)が、今度はわだかまりを残さずに、それぞれの道に別れてゆく。これは「家族の再生」というよりもむしろ、次郎が、強権的な父と、その父を継ごうとした兄から母と自分を解放する、そして次郎が母を引き取ることで兄一家も「父」から解放される、そういう物語であろう。家族がひとつになることが「再生」なのではなく、別れることで家父長制から解放される、それは確かに「再生」ではあるのかもしれない。

 そしてこれは、ありそうでなかった「故郷」論でもある。「村を追われた」といえば同じようにも思えるが、総一の「故郷」と次郎の「故郷」はまったく違う。総一にとっては、家族や友人たちやご先祖さまをすべてひっくるめた故郷こそが「故郷」であるが、次郎にとっては、それらの人が一切いなくなった、自然と土地こそが「故郷」である。「人の住めないディストピア」になることによって、はじめて次郎にとって「故郷というユートピア」となるというパラドックスが、ごくすんなりと描かれるのだ。

 だからこれは、「アレクセイの泉」に描かれたような「サマショーロ(わがままな人たち)」の話でありながら、まったく違う物語となっている。ここに人々が帰ってき始めれば、次郎のユートピアは崩壊してしまう。次郎が警戒区域に住むのは、村の維持のためでも認知症の母のためでもない。しかしそれは総一の理解を超えている。

 偶然、次郎の「家」に飛び込んできた元同級生の北村が尋ねる。「ゆっくり自殺するようなものではないの?」。次郎が応える。「時間の使い方だよ」。村を出ても居所のなかった次郎にとって「長生き」は問題ではない。原発事故の後、みな、居所を失った。仮設に暮らす総一たちも、かつて「原子力の標語」で入賞した北村も。だが、次郎と母には最初から「居所」はなかった。その違いが、「故郷」の違いに表れている。

 印象深い場面はさまざまあるが、無人の街を二人で歩き回る北村と次郎の場面や、仮設住宅の中でさまよう田中裕子の姿が秀逸だ。川内村と富岡町とを中心としたロケで撮影された山の美しさは「目に見えない汚染」の重さを、そして次郎が母を背負ってたどる「家路」は「姥捨て山」への道を思わせる。誰もいない学校で、今日も下校放送の「家路」が鳴る。

(初出:インパクション194号 2014.4)

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