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【映画】飯舘村ー放射能と帰村

飯舘村ー放射能と帰村 

土井敏邦監督・撮影・編集・製作 2013年


 飯舘村で酪農を営んでいた、志賀一家と長谷川一家。二家族を中心に、原発事故が「家族」に及ぼした影響と現在の生活を、そして飯舘村の除染と帰村の可能性について、さらに多くの人々のインタビューを基に問い直す。 

 帰村するのか、また大家族で暮らすのか。その前提である「除染」はそもそも可能なのか。映画の後半、飯舘村の除染計画とその実施状況が明らかになっていくが、そこで示されるのは、除染の困難さである。例えば長谷川氏の家。敷地内に五軒の建物があるが、そのうち母屋や納屋など三軒が、土壁であることなどが理由となって「除染作業は困難」となっている。そして山の除染はやらない、と。モデル地区となった菅野氏の家は象徴的だ。除染した家の前庭はやや低めの線量だが、雨樋の下では、ぽん、と上がる。これでは村の空間線量の「平均値」が基準値以下となっても帰れるわけがない。

 実際、みな一様に答える。帰れるものなら帰りたい。自分たちだけなら帰りたい。でも、子どものことを思うと帰れない。それは祖父母から、二十代、三十代であろう母親たちまでそうなのだ。「帰れるものなら帰りたい」という言葉の奥には「帰れない」という予感や諦めが、そして政府や東電への怒りが隠れている。

 思い出すのは、「アレクセイと泉」(本橋成一監督)だ。あるいは「プリピャチ」(ゲイハルター監督)。「アレクセイと泉」では、チェルノブイリ事故の後、汚染され制度上廃村となった村に戻って暮らす老人たちが、「プリピャチ」ではチェルノブイリ市の「立入制限区域」で働く原発労働者や研究者、そしてやはり自宅に戻って暮らす人々が描かれる。畑を耕し、森でキノコを採り、都市へ避難した子どもたち・孫たちに会いに行く、アレクセイの村の老人たちが飯舘の人々にかぶって見える。(旧)ソビエトでは、立入禁止区域で暮らす老人たちは「サマショーロ」(わがままな人)と呼ばれたが、今までの流れをみれば日本では、「除染」し、年間二〇ミリシーベルト以下を達成した後帰らない人々が「わがままな人」と呼ばれるのではないか? そんなことが頭をぐるぐると回る。だとしたら、ベラルーシと日本の違いはどこにあるのか。

 菅野氏は言う。孫も来れない、畑もできない、山で山菜やキノコも採れない。そんなところへ住んでどうするのか。京大原子炉実験所の今中哲二氏も言う。家の中にじっと閉じこもっていれば、年間二十ミリシーベルトは可能かもしれないが、それで村が復興したといえるのか。

 住まう、ということはまさにそういうことだ。「食う寝るところ」だけではすまない。「復興」とはなにかを問うことなしに、「帰村」のロードマップは描けないだろう。いや、そもそもロードマップは描けるのか。

 何より現在の生活のストレスを少しでも軽くする施策を、とあらためて思う。

(初出:「インパクション」190号 2013.6)

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