加藤克子著 れんが書房/2002年5月/2500円+税
どこにでも生活はある、のだ。活動家にも、中国にも、イラクにも。
娘が父親の遺した「戦場日誌」を元に「戦場の父」と「父の戦場」を考え、調べ、そして中国の現地を旅する——一言でいってしまえば、そういう本である。しかしその「娘」がご存じ、立川自衛隊監視テント村の加藤となれば、ひと味もふた味も違う、父への旅であることは保証済みだ。
前半は「戦場日誌」を読み続ける加藤の日誌。2000年3月、国立の「日の丸・君が代反対デモ」への参加とその感想から始まる。
反戦・憲法・反「日の丸・君が代」の運動と、母との食事や旅行、畑(砂川の自主耕作地)の世話や親しい人々とのやりとりといった流れるような、それでいてやはりいとおしい日常。それらと「戦場日誌」を読み込み、その歴史的な検証を試みる作業とが不可分のものとしてあるのが読みとれる。よく「運動をしている人」と「普通の人」という二分法が用いられ、私たちもまたそういうふうにしがちなのだが、決してそうではないということも加藤の日常を読むうちにわかる。
せっかく、今頃になってこの本を読んだのだから、現在の状況とかかわって感じたことを書いてみよう。
本筋とはあまり関係がないが、当時の日本政府と軍の中国への態度である。日本政府は37年12月に「近衛声明」つまり「帝国政府ハ爾後国民政府ヲ相手トセス」を出している。南京戦の直後である。加藤はこの近衛声明の「補足的声明」を引いて、「湾岸戦争以降、イラク大統領暗殺をも企て、「悪魔のフセイン」を抹殺しようとやっきになっているアメリカを彷彿とさせる文面である」としている。この本の元となった日記が書かれたのは2000年の3月から6月にかけてであるから、イラク攻撃はおろか9.11事件も起きていないのだが、現状はまったく「彷彿とさせる」ものだ。火野葦平の『煙草と兵隊』をめぐって。
「日本軍は、「相手とせず」と宣言した相手の首都を落とした、国民政府の「抹殺」は済んだという立場だ。残る戦争は「残敵掃討」と「匪賊討伐」だけである」
もちろん、イラクと当時の中国ではまったく状況が異なる。この頃の中国には、日本が否定した国民党も共産党も確固としてあり、温存兵力で遊撃戦を戦っていた。しかし、ブッシュの戦闘終了宣言以降、イラクでの「残敵掃討」と「匪賊討伐」とがもたらした状況とつい重ねてしまう。アメリカは成功例としての「日本型占領」を目指したが、中国での泥沼の日本と同じ状況になりつつあるのではないかと考えてしまう。そのバックにあるのは、やはり優越感(民族的というより所属国家への)とその裏返しの侮蔑感、相手への侮りである。「膺懲支那」というスローガンは、「支那」の部分を変えればそのまま対テロ戦争のスローガンになる。
最後に旅が終わり、中国側の資料を読みながら、加藤は再び「日の丸」を考える。
「しかし、人は自分の行為の意味を求めるものだ。そして戦友の死や郷里に残された家族の困窮を意義づけようとするとき、兵士たちの脳裏にうかんだのは「天皇」であり、「大和民族」であり、それらを凝縮して表現している「日の丸」でしかなかった。「日の丸だけが頼りである。日の丸のために死ぬなら本望だ」そう信じるしか術はなかった/……人をここまで追いつめる国、日本とはなんだろう?/……父にとって日の丸を掲げることは、失われた彼らの生を慰謝する表現だったと思う。貧しい、悲しい表現である。父がぬけ出ることができなかった戦争の後遺症の痛ましさを、いま痛切に感じることができる」
「好戦的な皇軍兵士」であり、家長の威厳を守り、祝祭日に日の丸を掲げ、慰安所にも行ったであろう父を愛しながら、反戦・反天皇制・戦争責任追及の運動を続けることもまた可能なのだと、そういう回路の存在を、この本は教えてくれもする。
そして加藤が闘っている「日の丸」。現実に卒業式で掲げられ、私たちの日常に侵入してくる「日の丸」。父の「日の丸」とそれが地続きのものであることは、本の前半部でも浮かび上がってくる。今「日の丸」を国が必要としている。何のために?
そんなことをつらつら思いながら読んでいたら、加藤が想起する「母の口癖」が、私にも聞こえてくるようになった。
「克子、どこにでも生活があるな」
そう、どこにでも生活はある。それが本当にわかってさえいれば、空爆なんてしない。まして劣化ウランなんて落とさない。何気ない「母の口癖」は私の中で響いている。
初出:派兵CHECK No.133(2003.10)
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