アジア・太平洋戦争

【映画】花と兵隊

花と兵隊

松原要樹第1回監督作品/2009年/106分

 アジア・太平洋戦争後に戦地からかえらなかった、いわゆる「未帰還兵」。この映画は、ビルマとタイに住む六人の未帰還兵をめぐるドキュメンタリーである。自分にとっての未帰還兵といえば、横井・小野田両氏だったり、水島上等兵だったり、「ムルデカ」だったりしたのだが、自分のそうした知識とイメージの粗末さを反省した次第。

 六人が日本に帰らなかった理由はさまざまだ。帰ると戦犯になってしまう人、そもそもブラジル移民だった人。その決断はそれぞれに重かったのだろうが、それでもそこから感じるのは、今、二〇〇九年のビルマと日本からはちょっと想像しがたいような「地続き」の感覚だ。一九四五年当時のビルマと日本に時間を巻き戻してみるには知識と想像力が必要だが、今の感覚だけではかると見誤ることも多いだろう。


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【映画】桃太郎 海の神兵


監督・脚本・演出/瀬尾光世 1945年作品 松竹 白黒 74分

叙情が戦意を昂揚する

 いいかげん、たまったビデオを整理しようとラベルのないテープを再生したら、いきなり荻昌弘が出た。びっくりした。土曜ロードショーの枠で「桃太郎 海の神兵」を放送したときのものだった。瀬尾光世と手塚治虫の座談会がついていた。すごいな。CMから推測すると八七年の放映。ううむ。ちなみに私は戦後五十年企画として映画館で観ている。

 さて、本編の方は、海軍省に委託され、後援を受けて制作されたアニメーション。冒頭に「メナド降下作戦に参加せる海軍落下傘部隊将士の談話による」とある。敗戦時に焼却されたと言われていたが、後にネガが発見され、八四年に再公開された。

 字幕が消えるといきなり富士山。のどかな山間の農村に、雉、犬、猿、熊の水兵たちが帰郷していく。あくまでも美しい田園風景。四人(匹?)はまず村の神社にそろって拝礼をすませ、それぞれの家に帰っていく。熊の家では年老いた両親が端午の節句の用意をし、犬の両親は畑仕事に精を出している。


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【映画】GAMA−−月桃の花

GAMA——月桃の花   
監督/大澤豊 1996年作品

 アオリ文句のひとつは「沖縄の”平和の礎”を映画化」だった。確かに「平和の礎」が大田=平和=県政の象徴だとするならば、その通りの映画であった。

 沖縄に一人の青年が降り立つ。沖縄生まれの母と米兵の父を持つジョージ(川口慈英)が、祖母・宮里房(玉木初枝)から自分のルーツを聞くためにアメリカからやってきたのだ。彼は偶然出会った糸数文子と二人、祖母を訪ねる。文子は「平和の礎」の刻銘のために聞き取り調査をしているのだが、房は自分の体験を語ろうとしなかった。

 物語は入れ子になっている。「平和の礎」をめぐる現在(一九九五年)の中に、房の語る沖縄戦の物語——パンフレットによると、以前より演劇としてあった「洞窟(ガマ)」——がすっぽりとはめこまれている。この二つの部分の違和感は、房役の玉木初枝(現在)から朝霧舞(過去)、もう一度玉木へ、という転換の際の演出的・技術的なものだけではない。現在を創る力のあやうさ、あやふやさである。

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【映画】ホタル

ホタル
監督/降旗康男 2001年作品

「感動した!ありがとおおっ!」が聞こえてくるよな、やっぱ

 桜島の見える海でカンパチの養殖を営む元特攻隊員の山岡(高倉健)と腎臓透析を続ける妻の知子(田中裕子)。「昭和天皇」が死んだ日、山岡の部下で今は八甲田に住む藤枝(井川比佐志)が突然、知覧の特攻平和会館から山岡の家に電話をかけてくるが、行き違いになる。そして「大喪の礼」の日、藤枝は八甲田山で自殺する。「特攻の母」と言われた富子(奈良岡朋子)は老人ホームへ入りたい、と言い出し、山岡に、山岡と藤枝の上官であった金山少尉(小澤征悦)の遺品を遺族に届けて欲しい、と頼む。金山少尉は本名キム・ソンジュという朝鮮人の特攻兵であり、知子の許嫁でもあった。しぶる山岡だが、知子の命があと一年余りと聞いて、二人で韓国へ行くことを決意する……。

 とまあ、こんな「現在」(と言ってももはや十年前だなぁ)を軸に、藤枝の孫、真美(水橋貴己)にオトナたちがそれぞれに語る回想が織り交ぜられながら、物語が進む。

 いやもう、泣き所満載! 半分も行かないうちからそこいらで鼻すすりまくってる音が聞こえてくる。藤枝が特攻平和会館で見る(という設定の)ショパンの「別れの曲」をバックにした特攻機の出撃−特攻−どんどこ撃ち落とされていく実写フィルムあたりから始まって、富子の語る「ホタルとなって帰ってきた特攻兵」だとか、「金山少尉の所へ連れてって!」と特攻機に突っ込む知子だとか、金山少尉が最後の晩に歌うアリランだとか、「不器用ですから」な健さんとか、好きなだけ泣いてくれえ! てなもんだ。

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【映画】男たちの大和/YAMATO  

男たちの大和/YAMATO  
監督/佐藤純彌 2005年作品 東映/角川春樹事務所

かくて消費されるツッコミなき「泣ける映画」

 二〇〇五年、四月。枕崎市の漁協に「大和の沈没地点まで船を出してくれ」という女性、内田(鈴木京香)が現れる。元大和乗組員で、現在は漁師の神尾(仲代達矢)は、彼女がかつて自分をかわいがってくれた上官・内田二曹(中村獅童)の娘と知り、一五歳のアルバイト漁師・アツシと共に船を出す。特別少年兵として一五歳で志願、後に大和乗組員となった神尾の語る、大和の物語が始まる……。

 この二年ほど、舞踊関係の文章をぽそぽそと書き、読みながら痛感したことがある。それは舞台であれ映画であれ、見るということは作り手・受け手の共同作業であって、受け手が自分の中に存在しない「物語」を見いだすのは、なかなかに困難だということだ。「新しい物語」を受け入れられないというのではない。ぼつん、ぼつんと置かれたちょっとしたとっかかりから、未知の物語を展開していくのは、受け手にその気がなければ難しい。あらかじめ持っている自らの参照項の中から選んでわかりやすい物語として読み解くのもまた、受け手の作業なのだ。

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【映画】プライド——運命の瞬間(とき)

プライド——運命の瞬間(とき)
監督/伊藤俊哉 1998年作品 

「大東亜戦争正当化」失敗作の悲喜劇

 裁判冒頭、法廷から引きづり出される大川周明が抵抗しながら叫ぶ。「It's a comedy!」

 まったく、出来の悪いコメディを見せられているようだった。散漫な構成、活かされない役柄、不十分な説明、そして津川雅彦のオーバーアクト。「東条がのり移った」といわれた津川の演技だったが、例えば法廷で松岡洋右の死を知らされる場面、あるいは「ただ一人特攻隊となって闘う」という有名な場面での過剰さは、悪い冗談みたいなものだ。パル判事の私生活部分も、せっかくインドロケまでして、かえって話を散漫にさせている。若い恋人たちも、背負わせたい役割は理解できるが、そのように活かされてはいない。観客が「これはこういうふうなことを描きたかったんだろうなあ」などと思いながら観るようではまずかろう。また、どこの国が参加していたのか、死刑囚以外の判決はどうだったのかという基本的な事柄、「天皇免責」をめぐる連合国相互の確執もほんのアリバイ程度で、東京裁判の本質・全体像を描くという点でも未消化に終わっている。


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【映画】TOKKO 〜特攻〜

TOKKO 〜特攻〜

リサ・モリモト監督/カラー/89分/2007年度作品/米日映画/原題「Wings of Defeat」

 監督のリサ・モリモトは、渡米した日本人を両親に持つ日系二世。リサは亡くなった自分の叔父が特攻隊員であったと知り、自分の中の「カミカゼ」のイメージと叔父の思い出との違和感から、日本で特攻隊の取材を始める。ニューヨーク育ちのリサは、周囲のアメリカ人と同じように、カミカゼのことを「喜んで自爆する狂信者」だと信じていた。一方、プロデューサーのリンダ・ホーグランドは、日本生まれ、日本育ちのアメリカ人。特攻隊は「喜んで自らの命を捧げた無垢な犠牲者」だと信じていた。この二人が、そのどちらでもない「等身大」の特攻隊員の姿に迫ろうとする。この映画はそのドキュメントである。

 インタビューに答えた元特攻隊員は四名。全員が百里ケ原航空隊で訓練し、四五年三月に特攻の命令を受けている。学徒出陣で入隊し、二度出撃するも、二度ともエンジントラブルで帰還した江名。ベテランパイロットで教官でもあった浜園と、浜園機の偵察員で予科練出身の中島の二人は、目標の米艦隊に到達する前に敵機との空中戦を展開、帰還する。やはり学徒兵の上島は、出撃命令を受けぬまま、訓練中に敗戦を迎える。


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【映画】パール・ハーバー

パール・ハーバー
マイケル・ベイ監督/2001年作品

リベンジせずにはいられない人々の群

 米陸軍航空隊のレイフ(ベン・アフレック)とダニー(ジョシュ・ハートネット)は兄弟同然に育った幼なじみ。健康診断でレイフは看護婦・イヴリン(ケイト・ベッキンセール)に一目惚れする。強引に口説き落としてまずはハッピーな日々。しかし、レイフが志願していたイギリス空軍への参加が認められ、レイフは一人イギリスへ。ダニーたちの隊もイヴリンたち看護婦も、オアフ島へ移動となる。しかしダニーたちに届いたのは、レイフの戦死の知らせだった。お互いを慰めあっているうちに、いつしかいいムードになっていくダニーとイヴリン。

 ところが! そこへ帰ってきたのが死んだはずだよレイフ君。いやあ、困った。二人で一晩殴り合って、明け方の空に見たものは、空を埋め尽くすかのように飛来する日本軍のゼロ・ファイターなのだ!

 飛んで帰った二人は仲間の援護で果敢に応戦。しかしほとんど為す術もないままに、真珠湾は壊滅状態になるのだった。

 しかあし! ここで映画は終わらない。三人とも無事だったところで、三角関係はどうすんじゃいと思いきや、ダニーとレイフはドゥーリトル隊長の元、極秘任務に入る。なんと東京爆撃作戦じゃあ! レイフとダニーは空襲に成功したものの、中国(?)に不時着。日本兵に襲われてダニーは戦死。今度こそ恋人の死体を確認したイヴリンは、レイフと二人、ダニーの息子を育てるのであった。

 いやあ、長い。3時間である。あらすじだけで二枚近くかかっちゃった。で、感想。

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【書籍】学校は軍隊に似ている——学校文化史のささやき

新谷 恭明著 /出版 : 福岡県人権研究所/発売 : 海鳥社/2006.3/1200円+税

 機関誌に連載されたコラムなので、広く浅いトリビア集といったところ。「蛍の光」の3番とか、教育塔とか、戦時中の皇民化教育問題や教育基本法問題に首を突っ込んだ人間なら、大体聞いたことのある話題が多いけれど、それでも「へえ」という話も入っている。ま、とてもお手軽でそれなりに面白かった。この手の話の初心者向けとしてはよくできてます。114ページだからすぐ読めるしね。

 1886年に森有礼文相が制定した「師範学校令」にある教師の必要気質「順良・親愛・威重」すなわち「上には無批判に、互いに守り合い、子どもや保護者にはえらそうに」という人材養成のモデルを軍隊に求め、そのシステムを師範学校教育に採用した……というところから、この本は始まる。例えば「気をつけ!礼!」、学生服、寄宿舎生活の管理徹底(曰く「頭髪、着るもの、持ち物、食べるもの、掃除の仕方……」どこかで聞いたよね)などがどのように導入されたか、とか。

 特に面白かったのは、修学旅行の始まり。「軍隊に倣って行軍旅行を為すべし」で始まったものが、師範学校の教員たちの意地でどのように変節したか、そしてさらに生徒たちがそれを骨抜きにしていった過程がなかなか楽しい。いやー、人間ってなんやかんやいってもそんなもんよね、というのが救いだな。

 それにしても学生というものは、古今東西を問わず、枕を見れば投げるものなのかいね? 「ファントマ電光石火」でも、寄宿学校にいるエレーヌの弟が、舎監をからかったあげく大規模な枕合戦をやって停学になる場面があったけど(で、エレーヌが連れ歩いている間に、ファントマに誘拐されちゃうというわけ)。修学旅行が始まっていくらもしない間にもう、「枕を投げるな」だもんな。さすがに中国にあるような陶製の枕だったら投げないんだろうけどなー(←後が大変)。

 ……いちばん印象に残ったのが「学生と枕投げ」じゃまずいよな、多分(苦笑)。

(「綾瀬川的生活」2006年9月30日)

*日記ページからの抜粋です

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【書籍】戦後世代の戦争責任

田口裕史著 樹花舎/1996年8月/1500円+税  

「非道な事実そのもの」に真面目に向き合う本

 「田口さんはまじめだなぁ」。嫌みでなく、素直にそう思った。この本の中でも幾人かが漏らしているが、私もまた、「戦争責任をうやむやのままにしているということにおいて戦後責任を負っている」と単純に割り切ろうとし、そうすることによって戦争責任と自分との直接の関係を問うことを保留し続けてきたクチだったから、彼の、戦争責任と真っ向から向かい合い、解きあかそうとする姿勢に素直に感心してしまったのだ。

 本書は1963年生まれの著者が、「戦後世代」にとって「戦争責任」とはどのようなものなのか、罪と責任について、謝罪と反省について、「責任」という概念自体の分類・整理をしながら緻密に論じたものである。ちょっと理論的過ぎるかな、と思うところもないではなかったが、戦後補償運動を担うなかで直面する様々な問いかけに対して、いわば「走りながら考えた」これらのことは、いくつもの手がかりを含んでいる。

 著者は「戦後世代」を「私とその同世代およびそれ以降の人間」と定義づけている。一般的に使われている範囲設定ではない。しかし、「はじめに」の冒頭に書かれている文章で、著者と同世代の私には腑に落ちるものがあった。

 「子どもの頃の私にとって、戦争とは、映画やテレビ画面の中に存在するものでしかなかった。ベトナム戦争に関わる記憶も、かすかに残ってはいるが、とうてい『自分のこと』であったとは言えない。/だから私は、同世代の多くと同じように、戦争から遠く離れて生まれて育っている」

 かつて「戦争を知らない子どもたち」を歌った世代(全部とはいえないまでも)はリアルタイムのベトナム戦争と向かい合った。けれど、「戦後の混乱」もGHQも朝鮮戦争もベトナム戦争も「自分のこと」ではなかった世代の「戦争」というもの——「アジア・太平洋戦争」だけではなく一般名詞の戦争をも含めた——との距離感を、著者の定義は表しているように思う。この距離感から派生するものは様々だ。本書の冒頭で検討される高市早苗議員の発言も、現在論議されている藤原信勝の「自由主義史観」なるものも、それと無縁ではない。藤岡自身は戦中生まれであり、その支持者も「戦後世代」ばかりではないが、彼の「日本人であることに誇りを持てるような教育を」という主張とその根拠とする若者たちの姿は、そこを突いている。

 この「戦後世代」たちは、直接の戦争の当事者でなく、被害の経験すら持たないゆえに、日本のおかした(戦争)犯罪を認め、追及していくことができる、と可能性を込めて言われたこともあった。同時に、藤岡式に言えば自国の歴史に誇りを持てずにしょぼくれている若者でもある。私の実感では「戦争だから仕方ないじゃん」と「見るとかわいそうだから見ないの」とが双璧だ。どっちみち「他人事」でしかない。

 藤岡は、日本近現代史の前に後込みする人々に、歴史の臭いものにふたをし、明治期の評価を「修正」することで、「日本人としての誇り」を取り戻そうと言う。昨年末、著者を招いて行なわれた討論集会でも、「日本人としての連続性」は論点のひとつとなった。田口は「罪」と「責任」、本書で言えば「罪に近い責任」=直接の行為と「義務に近い責任」=主権者としての責任とを整理し、議論を明確化している。そして「反省」を「その過ちがどうして行なわれたのかを検証し、繰り返さないための方法を探る」(実際にはもっと細かく定義づけられているが、うんと端折っていえば)と定義づけ、「謝罪」と区別することによって、自ら(と「戦後世代」)に引き寄せている。また「日本人だから罪がある」式の論議、その裏返しである「戦後補償によって日本人としての誇りを」という論議に対しては、民族主義の落とし穴に陥る可能性を指摘する。その上で彼自身は、戦争責任があろうがなかろうが「行なわれたことが非道だから責任を担う」ことを根拠とし、人間として「非道な事実そのもの」に向き合い、それを自らのこととして「反省」していく方法を探ろうとする。その作業は、藤岡の言う「自虐」とは全く反対のものである。

 本書を書いている時点で、著者に「自由主義史観」なるものへの明確な意識があったかどうかは、時間的にいってわからない。が、意識的にかどうかはともかく、それを撃ち崩すための様々な示唆が、本書には盛り込まれている。今回、全く偶然に藤岡の著書と平行して本書を読み返しながらそう思った。

 また、運動とは関わりのない同世代の友人と話すときに私が時折感じるいらだちめいたものと、ある種同質な感情を著者も持ったことがあったのだろうと思わせる箇所もいくつかあった。本書全体が、「戦後世代」の持つ戦争あるいは「戦争責任」との距離感、さらにはささやかな異議申し立てを含めた「運動」との距離感を埋める試みともいえるのではないだろうか。

 本書の後半には、彼が実際に関わっている朝鮮人BC級戦犯を支える運動の中での体験、当事者の人々や韓国の若者との交流、「戦後50年」の年にイギリス、ドイツを訪れた際の報告などが載せられており、どちらも「戦争責任」を考えるうえでの手がかりとなる。巻末にはテーマ別のブックガイドがあり、結構便利だ。

 蛇足ながら、本書の出版後、さる新聞で田口と高市の公開往復書簡が企画され、実際に何度か書簡のやりとりがあったそうだ。残念ながら企画自体がボツになったそうだが、これもぜひ読みたい。

初出:「月刊フォーラム」1997年4月号

【補】最近のいろいろをみるにつけ、今こそこの本が必要なんでないかい? と思って取り急ぎ、アップしました。田口さんのサイトもなかなか資料充実です。藤岡本人は最近聞かないけど、自由主義史観グループは、今度は「沖縄の集団自決はまぼろしだった」とか相変わらず元気にやってるし。

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【書籍】女たちの<銃後>

加納実紀代著 インパクト出版会/1995年8月  

自分を見直してみるきっかけに

 集会でも投書でも、共感できないなぁ、という種類の発言のひとつに、「男が起こした戦争のせいで、いつも女と子どもが被害者になる」というものがある。大枠そうなんだろうと思うのだが、違和感が残ってしまう。大概の戦争は男が起こす。男が権力者だからだ。逆にいえば、女は戦争を起こすような権力を手にしたことが少ない、ということだろう。「女の本質として戦争を起こすことはない」と同じ女から言われると、ちょっと待てよ、と思ってしまう。

 それでは女たちは銃後をどのように生きていたのか。本書は、第一章「銃後への胎動——一九三〇年代の女たち」、第二章「銃後の組織化——国防婦人会を中心に」で銃後へと向かう女たちとその社会背景を、第三章「それぞれの銃後」、第四章「銃後のくらし」で文字通り女たちの銃後を、第五章「女たちの八月十五日——銃後の終焉」で敗戦後の女たちを描いている。そこには様々な女たちが現れる。皇国史観を説いた女もいれば、中国に渡って日本の侵略と戦った女もいる。そして生活の中に入り込んでくる戦争にからめとられていく多くの女たちがいる。中でも私が印象深かったのは、国防婦人会の活動(後には大日本婦人会)を担い、「輝いていた」女たちであった。彼女らが「自主的に」生きた銃後は戦争における女の役割を現出しているし、何より私がその時代にいればそう生きただろう姿でもあるからだ。

 十五年戦争開始直後(象徴的な時期だ)、夫の出征前夜「何卒後の事を何一つ御心配御挫居ますな」との遺書を残して自害した井上千代子という女性がいた。この事件は「武人の妻の鑑」「昭和の烈婦」として有名だが、「夫婦仲もいいように見えなかった」千代子の自害は「夫の『後顧の憂』をたつための『昭和の烈婦』の自刃、とのみは考えにくい」(第二章)という。国防婦人会のその後の役割を考えるとき、発端となったこの事件の真相はもっと明らかにされてもよいと思う。

 この事件に触発された女性、安田せいの奔走で国防婦人会は発足し、軍部の後援を得、日本中の女たちを巻き込んで、思想戦・経済戦を戦う母体となっていく。国防婦人会の成長の原因を著者はそれぞれに検討しているが、これを「婦人の解放」と捉えた婦人運動家たちと、もっと単純に「解放の気分」を味わい、活動にうちこんだ女たちの自発性・積極性は見過ごせない。

 婦人会に見送られ、出征した兵士の一人はこう述懐する。「ひどいなあ、女は。あんなにやさしげな美しい顔をして、男を死地に追いたてるんだから……」(第二章)。情報の(種類の)少なさ、ある種の純粋さと「台所からの解放」感とが大きな落とし穴となって、彼女らは自ら「思想戦」を担い、戦わされていた。しかし、その時代を苦い思いで振り返る人がいる一方で、今なおその時の充実感を「『わが生涯最良の思出』として胸に暖めている女たちも多い」(第二章)となると、時代の女たちに課した重圧と、そのはけ口ともなった婦人会の役割の大きさとともに、自らの歴史をみつめることの重要性をあらためて感じる。

 それにしても、五〇年(以上)前と現在と、本質的にはたいしてかわっていないのかなと、本書を読むと思ってしまう。

 たとえばマス・メディアによって流される等質な情報。相変わらず権力のよしとする言論を大量にふりまいているさまは、今年のオウム真理教をめぐる報道で、あらためて明らかだ。その情報の中にはもちろん「おカミに協力するよい市民」像も含まれている。「おカミに都合のよい(安全)な運動」に流れていく傾向をさらに内包して。

 また、「女子の労働市場への参加」のために動員強化を進める婦人運動家らの活動は、結果的にせよ、現在の企業社会を支える「男並み労働」をすすめる「雇用均等法」を思い出させる。動員によって得た女性の職場が、復員してきた男性たちによってまた奪われていくのも、バブル時に生産力を補い、不景気になると解雇される女性パートを彷彿とさせる。平等を突き詰めていった先に、現在の婦人自衛官の増加が、そのもっと先に、たとえば女性にも適用される徴兵制や女性の天皇があるとすれば、やっぱり何か見落としているものがあるのではないか。

 さらに「革新っぽい軍部」への支持も人ごとではないし、街頭で服装に目を光らす婦人会の、「おカミの意向」「みんないっしょ」からはみ出たものへの排他性はまったく変わるところがない。

 何を根本に据えた解放であるのかが、この時代の婦人運動家あるいは女性一般に、問われるべき問題だった。それは現在の私たちにも同じに突きつけられている。足元をすくわれない運動をどのように組み立てるのか。ひとつのテーマを追いかけるときに、見落としている原則はないのか。無自覚なままに加害者の側に組み込まれてはいないか。

 本書は筑摩書房より一九八七年に刊行された同名の本の増補版である。九〇年代に入っての「従軍慰安婦問題」の急浮上から細川首相の「侵略戦争」発言などの動きの中で、著者自身が一度は「役割を終えた」と思った(「あとがき」)この本の再刊は、さらにその後の敗戦五〇年をめぐる状況を経て、もう一度自分自身を見直してみるためのひとつのきっかけを与えてくれる。

初出:「月刊フォーラム」1996年1月号

【補】そして敗戦60年をめぐる状況を経て、あああやんなっちゃったのだった。デビューの頃の書評です。なんか初々しいねぇ。とはいえ、状況は本質的にかわってないばかりか、どんどん悪くなってるねぇ。細川首相なんて人も、もはや胚芽米を売る工芸家だもんねぇ。(04.11)



Book

女たちの「銃後」


著者:加納 実紀代

販売元:インパクト出版会

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【書籍】女がヒロシマを語る

江刺昭子・加納実紀代・関千代子・堀場清子編 インパクト出版会/1996年8月  

「母性を越える」ことの困難さ

 「女がヒロシマを語る」と題されたこの本は、帯に「母性神話を越えて」とある。全編を通して、残念ながら、その試みは散見するものの、未消化に終わっている感を拭えない。

 構成は大きく三部。まず、「ヒロシマをめぐるディスクール」として、三人の文学者について(「大田洋子再読」江刺昭子、「栗原貞子の軌跡」石川逸子、「原爆歌人正田篠枝とわたし」古浦千穂子)と映画「黒い雨」「夢千代日記」の考察(「映画に描かれた女性被爆者像」マヤ・モリオカ・トデスキーニ)。次いで「少女にとってのヒロシマ」として、毒ガス島に動員された体験(「もうひとつのヒロシマ」岡田黎子)と、戦後ヒロシマの女学校について(「なぜ女学校は消えた?」関千枝子)。そして「ダンス・モノローグ ヒロシマのボレロ」(村井志摩子)をはさんで、この本のそもそものきっかけとなったシンポジウム「女がヒロシマを語る」の採録(「すべての人に伝えたい」堀場清子、「原爆災害と女性」関千枝子、「女がヒロシマを語るということ」加納実紀代)である。

 著者のそれぞれが、今まで「女性」の視点で被爆体験が語られてこなかったこと、語られた場合も「母」の心情あるいは「母になり損なった」とものとしての「原爆乙女」の悲劇が強調されすぎた傾向のあること、「母」の立場と「女性」の立場には自ずから違いのあることなどを意識しながらも、もう一歩踏み込めていないようだ。

 「女性とヒロシマ」というテーマが母性中心にならざるを得なかった理由のひとつには、女性=母またはその予備軍という価値観がある。それは書き手の側だけでなく、被爆者の側、とりわけ被爆した時点である程度の年齢に達していた女性を考えた場合、結婚して母となることが女の人生であり、幸せであるというその「常識」を、彼女らの多くも疑うことなく受け入れてきただろう。もちろん、それに対しての現在からの批判は必要である。しかし、そのような価値観で生きてきた以上、自分の考えていた「(女としての)幸せ」を奪われたという悲劇性が強調されることはやむを得ないだろう。そして何より、「母モノ」はわかりやすいのだ。関のいうように「父性無視」であったとしても。

 また、「女性」というものの規定も、「母になるもの(母性)」「母になる機能を持つ者(産む性)」とされながら、「母にならない者(母性からの逸脱)」を想定し、また「母になる機能を持たない者(産む性からの逸脱)」をも考えねばならない。「女性の視点」そのものが、一つのようでいて、多様にならざるを得なくなってくる。そこから来る曖昧さが、「女性」と「母性」との関係のそれでも現れてくる。女性を「母」「産む」「いのち」というキーワードで捉える以上、その曖昧さからは逃れられないだろう。さらにそしてそれは、今の多くの「女性と○○」を語る際の、切れ味の悪さにつながっている。

 「母性」より広い「女性」を考えるということでは、岡田黎子の女学生動員の記録や、関千枝子の二本のレポート(補論「『白い閃光 黒い雨』について」を含めて三本)は興味深かったし、堀場清子の文中に触れられている、助産婦らを動員して行われた遺伝調査の実態(調査結果というよりその過程)については、もっと踏み込まれ、広く問題にされるべきだろう。戦後、被爆した女性一人ひとりがどのように生きたか、生きねばならなかったか。「母性神話」から脱却できなかった者、脱却していった者、あるいは脱却せざるを得なかった者をも含めて、彼女らをとりまく戦後社会そのものが、検証されなくてはならない。被爆後五一年を経てなお、語られ、開かれ、掘り下げられなければならないことの多さを感じる。

 そのような意味でも私には、被爆体験を持ち、あるいは間接的に関わり続けた女性達の生き方の方が印象に残った。「被爆」と一口に言いながらも、その多様性とでもいうのか、大きなくくりでは「同じ体験」でありながら、生活の場所、年齢、家族たち……、状況によってまるで違う体験であるという、当たり前の不思議さがそこにはある。取り上げられた三人の文学者はもちろん、この本の著者や彼女らをとりまく人々の人生そのものが、「女性と原爆」というテーマを表しているようにも思う。具体的な、生の体験というものの強みなのだろうか。その個別の体験を、社会的な状況、特に被爆者、あるいは女性になされた政策と付け合わせていくことによって、「女性と原爆」の実像が見えてくるのだろう。また、そうして一人ひとりの具体的な生き死にを明らかにしていく作業を通して、数値ではない、原爆被害の実相を描き出すことができるのではないか。そのことは、この本の主題からは多少ずれるが、虐殺と虐殺を数で置き換えて相殺していくような論理や、全ての「戦死者」をひとくくりにしていく論理に対抗する力となるだろう。

初出:「月刊フォーラム」1996年11月号
 
【補】わー、もう10年も前の原稿かい。とはいえ、余り自分でその後の進歩を感じないような=つまり言っていることに変わりがないような気がするのはいいんだか悪いんだか(笑)。年を取って、「フェミニスト」とはますます距離が開いていったとはいえる。この「女性と○○」については厳しくなったな、我ながら。この頃から私は、一人ひとりの人生というものに、とりわけその選択に興味を持っている。ほんの一瞬の選択が大きく人生を変えてしまう。それが極端に現れるのが戦争という現場なのかも知れない。

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【書籍】日中戦争・哀しい兵隊——父の記憶をたどる旅

加藤克子著 れんが書房/2002年5月/2500円+税  

どこにでも生活はある、のだ。活動家にも、中国にも、イラクにも。

娘が父親の遺した「戦場日誌」を元に「戦場の父」と「父の戦場」を考え、調べ、そして中国の現地を旅する——一言でいってしまえば、そういう本である。しかしその「娘」がご存じ、立川自衛隊監視テント村の加藤となれば、ひと味もふた味も違う、父への旅であることは保証済みだ。

 前半は「戦場日誌」を読み続ける加藤の日誌。2000年3月、国立の「日の丸・君が代反対デモ」への参加とその感想から始まる。

 反戦・憲法・反「日の丸・君が代」の運動と、母との食事や旅行、畑(砂川の自主耕作地)の世話や親しい人々とのやりとりといった流れるような、それでいてやはりいとおしい日常。それらと「戦場日誌」を読み込み、その歴史的な検証を試みる作業とが不可分のものとしてあるのが読みとれる。よく「運動をしている人」と「普通の人」という二分法が用いられ、私たちもまたそういうふうにしがちなのだが、決してそうではないということも加藤の日常を読むうちにわかる。 

 せっかく、今頃になってこの本を読んだのだから、現在の状況とかかわって感じたことを書いてみよう。

 本筋とはあまり関係がないが、当時の日本政府と軍の中国への態度である。日本政府は37年12月に「近衛声明」つまり「帝国政府ハ爾後国民政府ヲ相手トセス」を出している。南京戦の直後である。加藤はこの近衛声明の「補足的声明」を引いて、「湾岸戦争以降、イラク大統領暗殺をも企て、「悪魔のフセイン」を抹殺しようとやっきになっているアメリカを彷彿とさせる文面である」としている。この本の元となった日記が書かれたのは2000年の3月から6月にかけてであるから、イラク攻撃はおろか9.11事件も起きていないのだが、現状はまったく「彷彿とさせる」ものだ。火野葦平の『煙草と兵隊』をめぐって。

 「日本軍は、「相手とせず」と宣言した相手の首都を落とした、国民政府の「抹殺」は済んだという立場だ。残る戦争は「残敵掃討」と「匪賊討伐」だけである」

 もちろん、イラクと当時の中国ではまったく状況が異なる。この頃の中国には、日本が否定した国民党も共産党も確固としてあり、温存兵力で遊撃戦を戦っていた。しかし、ブッシュの戦闘終了宣言以降、イラクでの「残敵掃討」と「匪賊討伐」とがもたらした状況とつい重ねてしまう。アメリカは成功例としての「日本型占領」を目指したが、中国での泥沼の日本と同じ状況になりつつあるのではないかと考えてしまう。そのバックにあるのは、やはり優越感(民族的というより所属国家への)とその裏返しの侮蔑感、相手への侮りである。「膺懲支那」というスローガンは、「支那」の部分を変えればそのまま対テロ戦争のスローガンになる。

 最後に旅が終わり、中国側の資料を読みながら、加藤は再び「日の丸」を考える。

 「しかし、人は自分の行為の意味を求めるものだ。そして戦友の死や郷里に残された家族の困窮を意義づけようとするとき、兵士たちの脳裏にうかんだのは「天皇」であり、「大和民族」であり、それらを凝縮して表現している「日の丸」でしかなかった。「日の丸だけが頼りである。日の丸のために死ぬなら本望だ」そう信じるしか術はなかった/……人をここまで追いつめる国、日本とはなんだろう?/……父にとって日の丸を掲げることは、失われた彼らの生を慰謝する表現だったと思う。貧しい、悲しい表現である。父がぬけ出ることができなかった戦争の後遺症の痛ましさを、いま痛切に感じることができる」

 「好戦的な皇軍兵士」であり、家長の威厳を守り、祝祭日に日の丸を掲げ、慰安所にも行ったであろう父を愛しながら、反戦・反天皇制・戦争責任追及の運動を続けることもまた可能なのだと、そういう回路の存在を、この本は教えてくれもする。

 そして加藤が闘っている「日の丸」。現実に卒業式で掲げられ、私たちの日常に侵入してくる「日の丸」。父の「日の丸」とそれが地続きのものであることは、本の前半部でも浮かび上がってくる。今「日の丸」を国が必要としている。何のために?

 そんなことをつらつら思いながら読んでいたら、加藤が想起する「母の口癖」が、私にも聞こえてくるようになった。

 「克子、どこにでも生活があるな」

 そう、どこにでも生活はある。それが本当にわかってさえいれば、空爆なんてしない。まして劣化ウランなんて落とさない。何気ない「母の口癖」は私の中で響いている。 

初出:派兵CHECK No.133(2003.10)

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著者:加藤 克子

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