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沖縄

【コラム】ていこうせん38号&41号

「'97ガイドライン安保・有事法に反対する全国Fax通信」から

38号 「ここに基地ができたら」「ここに基地がなかったら」

41号 周辺事態法成立

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【書籍】みるく世ややがて 沖縄・名護からの発信

浦島悦子著 インパクト出版会 2015.10

「今」へいたる道をたどる記録

 長く「インパクション」誌に連載された、名護在住の浦島悦子氏によるレポート。本書はその「インパクション」が休刊するまでと、その後他誌に掲載された文章を元にした、五年分の記録となる。本書に収録された二〇一〇年六月から二〇一五年八月という期間は、個人的には「派兵チェック」を終刊させた二〇一〇年二月に運動から離れて「四年間の休暇」に入っていた時期とも重なり、あらためてこの五年間になにが起き、何が行われたかを確認するのにたいへん役に立った。しかも自分のようにすぐに時系列がぐちゃぐちゃになってしまうタイプにとっては、時々こうやって「通史的」な確認をするのは必要かも。連載を読んでいるオンタイムで感じることとはまた別に、見えてくるものもあるし。

 さて、二〇一〇年六月、鳩山政権が「県外移設」の公約を撤回した直後の抗議集会から本書は始まり、その「県外移設」を公約に掲げた仲井間知事の誕生と公約破りによる終焉、翁長知事の誕生と新たな島ぐるみ闘争とが描かれる。

 

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【映画】GAMA−−月桃の花

GAMA——月桃の花   
監督/大澤豊 1996年作品

 アオリ文句のひとつは「沖縄の”平和の礎”を映画化」だった。確かに「平和の礎」が大田=平和=県政の象徴だとするならば、その通りの映画であった。

 沖縄に一人の青年が降り立つ。沖縄生まれの母と米兵の父を持つジョージ(川口慈英)が、祖母・宮里房(玉木初枝)から自分のルーツを聞くためにアメリカからやってきたのだ。彼は偶然出会った糸数文子と二人、祖母を訪ねる。文子は「平和の礎」の刻銘のために聞き取り調査をしているのだが、房は自分の体験を語ろうとしなかった。

 物語は入れ子になっている。「平和の礎」をめぐる現在(一九九五年)の中に、房の語る沖縄戦の物語——パンフレットによると、以前より演劇としてあった「洞窟(ガマ)」——がすっぽりとはめこまれている。この二つの部分の違和感は、房役の玉木初枝(現在)から朝霧舞(過去)、もう一度玉木へ、という転換の際の演出的・技術的なものだけではない。現在を創る力のあやうさ、あやふやさである。

Book沖縄戦 ある母の記録―戦争は親も子も夫も奪ってしまった…

著者:安里 要江,大城 将保,石川 真生
販売元:高文研
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【書籍】沖縄 近い昔の旅——非武の島の記憶

森口豁著/凱風舎/1999.5/本体1900円

わかりやすい沖縄入門と、見過ごしがたい見返しの歌

 本書は、沖縄出身の高校の同窓生に導かれ、「琉球新報」の記者として、日本テレビの特派員として、そして現在はフリーとして沖縄にこだわり続けている森口豁の沖縄人(ウチナンチュ)交流録兼沖縄入門である。ここには、シナリオライターの金城哲夫や知花昌一、喜納昌吉、「佐喜真美術館」の佐喜真道夫、また対馬丸、ジュゴン、人頭税といった、沖縄に興味をもつ人なら知っているような人や事柄と、もっと個人的な知人たちの戦争体験、民俗文化、孤島の現在などが散りばめられている。

 「ぼくは、この本をできるだけ若い人に読んでほしいと願っている。この国をこんなに醜い国にしてしまったのは大人たちだが、時代を担う人たちには、この国の過去と現在を負の教材、つまり反面教師として、なんとしてもプラスに変えてほしいと願っている……それぞれの文章が、多分にして二項対立的な図式になったのもそういう理由からである。」(太字:原文では傍点)

 森口の「あとがき」、つまり本書の視点である。

 正直なところ、読み進むにつれ何とはなしの「ヤな感じ」がまとわりついて仕方がなかった。例えば筑紫哲也や池沢夏樹にみられるように、沖縄を愛するあまりにありがちな、立場のぐらつきも感じないではなかった。どの人もどの事項も一冊のあるいはそれ以上の書物が書けるようなものだから仕方がないのだが、それにしても物足りなさの残る項目が多く、こんなところでまとめてどうする、という煮えきらない感じ。それは、「あとがき」を読んでおおむね合点がいった。あとはこの中からもっと知りたいことを拾い出し、次々にステップアップしていけばいい。充実した脚注や豊富な写真も含めて、沖縄とその戦後史、沖縄をとりまく問題について知りたい人にはオススメだ。

 しかし、もう一つの「ヤな感じ」はもっと具体的な問題だ。つまり表見返しに印刷された森口の作詞、海勢頭豊作曲による「九月四日の誓い」と題された歌と、裏見返しの「新国民歌 われら愛す」という芳賀秀次郎作詞・西崎嘉太郎作曲による混成合唱曲との二つの歌詞付き楽譜である。おかげで私にとってはこの本自体が「ヤな感じ」で始まり「ヤな感じ」で終わるという不幸な構成になってしまった。

 「九月四日の誓い」は、一九九五年の「少女暴行事件」の少女に寄せた歌である。これを読んだ瞬間に、同じ事件に題材をとった喜納昌吉の「少女の涙に虹がかかるまで」という歌と、それを集会主催者として舞台袖で聞いた時の、喜納がまさに「歌いあげる」というように歌いあげ、聴衆が踊りながら感動をもって応えるというその「ヤな感じ」、「この曲がねぇ、本当にいいんですよ、僕は涙がでるなぁ」というようなことを進行の男性が囁いた「さらにヤな感じ」とが甦ってきた。

 森口の詞の方は、喜納のものよりはクールに見えるが、よく読むとこの「わたし」が森口なのか、少女なのかよくわからない。「わたし」=森口の「胸のなかは月のない夜のよう」で、「闇を照らすお月様」を欲し、九月四日に誓いをたてたというのなら、「ヤな感じ」はしない。が、本文に「人前に名乗り出て言いたいことも自由に言えない一人の少女の気持ちをおもんぱかって書いた」とある通り、「わたし」=少女の気持ちであるというのなら、それはやはり違うだろうと思う。少女はまだ生きていて、変わってゆく権利も可能性も持っており、彼女の現在の気持ちはそれこそ「おもんぱかる」ことしか私たちにはできない。多くの人々が彼女の「勇気ある告発」に呼応して立ち上がったし、今もそこを原点に闘い続けている。しかし、「少女に勇気づけられた私」と、「少女の気持ちになる私」とは自ずから違う。私はこれらの歌に、少女を九五年のあの時にピンで差して保存しておくような痛々しさを感じる。少女を忘れてしまうのではないけれども、少女のためではない自分自身の闘いを、私たちはすべきではないのか。

 また枝葉末節のようにも思えるが、「強姦者」を「獣」に例えるのも、そろそろやめて欲しい。性欲の強さを「獣のよう」、本来人間以外はほとんど行わない強姦を「獣の行い」とすることで、強姦を男性の本能からくる「どうしようもないこと」と一定正当化するために役立ってきた表現である。

 もう一つの「国歌」論について言及する紙幅がなくなってしまった。私は「この日本を愛します」なんていう歌に共感はしないし、「君が代」よりましに見えても「うたは一度権力の側に委ねられると取り替えしのつかない結果を招くことになる」と森口も指摘する通りで、「誰もが喜べる国旗や国歌」などというフィクションに加担したくないと、述べるにとどめる。

(「インパクション」115号 99.8)

【補】いろいろ書いてますが、「戦後沖縄問題と呼ばれるものにどのようなものがあるか」ということを、網羅的に手軽に知るためにはとてもいい本です。この本の中から、自分が興味を持ったトピックについて、自分で探して深めていけばよいことで。

【補2】この原稿が掲載された後、新崎盛暉さんが自著(「沖縄同時代史第9巻」)に収録された同書の書評の「補記」として、「わたしとは力点の置きどころがまるで違うが、共感できる書評であった」と取り上げてくださいました。めちゃくちゃ嬉しかったです。(2008.3.15)

【書籍】反戦と非暴力——阿波根昌鴻の闘い

亀井淳著 高文研/1999年2月/1300円+税 

闘いの現場から生み出された「人間」の記録

 阿波根昌鴻という人は、不思議な人だ。私自身じかにお目にかかったことはないのだが、それでもトリコになっちゃった(死語だなぁ)一人である。96年の5・15、嘉手納での行動を終えた翌16日、まったく唐突に決めて伊江島へ出掛けたのだが、直前に読んだ『米軍と農民』の、あらゆる意味でスゴイ彼らの闘いと、阿波根のキャラクタ−にすっかり魅せられてしまったのである。

 阿波根には先行して3冊の著作(『人間の住んでいる島——沖縄・伊江島土地闘争の記録』1982年私家版、『米軍と農民——沖縄県伊江島』1973年岩波新書、『命こそ宝——沖縄反戦の心』1992年岩波新書)があるわけだが、「あとがき」で亀井自身が述べているように、この本はそれらの再編集でもあり、昨年末より上映されている映画「教えられなかった戦争・沖縄編——阿波根昌鴻・伊江島のたたかい」(不満はあるものの、阿波根の独特の口調や仕草に触れるためにも機会があったら観てほしい)の制作中の資料をもとに企画された。1903年生まれの阿波根の生い立ちから沖縄戦、戦後の伊江島での土地闘争を、阿波根の記録した写真を多用しながら追っている。

 彼らの闘いから学ぶことはいくらでもあるが、今映画をも通して再認識するのは、「闘いを記録する」という姿勢である。米軍上陸前からメモをとっていたという阿波根は徹底的に闘いを記録する。1953年9月、米軍が伊江島に「交渉」に来たばかりの頃からの克明な「メモ」と、1955年からは当時たいそう高価であったカメラとを使って。1959年、闘いの中心でもあった二人の青年が、不発弾をスクラップにして生活の費用とするための解体作業中に爆死する。その時も阿波根はカメラを持って現場に走り、彼らの最期を記録する。「見るも無残な姿でした。……わたしは、これでたたかいはおしまいになるのではないかとさえ思いました。……わたしは悲しみをこらえて、写真をとりました。アメリカは、証拠がないと納得しない」。記録は初めは米軍の「嘘」に対抗する手段であり、真実を訴えるための「証拠」であったろう。それはやがて沖縄本島へ、「本土」へと伊江島の実態を訴え、支援と連帯のを拡げるための「武器」ともなった。そして何十年かを経た今、阿波根がある時は悲しみを、ある時は怒りをこらえて残した記録は歴史となり、さらに現在への連続性をもって私たちの心をかきたてる。

 本書からは脱線するが、阿波根の記録癖(?)はそれに留まらず、「現物」をも収集し始める。それが彼の反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」の展示品の数々だ。島の人たちが拾った米軍の物資(模擬ミサイルから衣類まで)、生活用品にプラカードなど、「集めるというのは、一つの楽しみでもありますよ」(『命こそ宝』)と阿波根自身も述べているが、ここまで徹底した時にもつ力というのは凄いものだ。

 「記録」への姿勢と同時に、この本の主題であった「非暴力」という思想そのものも、観念として先にあったのではなく、米軍の圧倒的な暴力と、抵抗を口実にした弾圧、「見る人も聞く人もいないとき、この離れ小島の伊江島で殺されたらおしまいだ」という、闘いの現場から必然的に生まれ、練りあげられたものだった。それゆえに持つ強さとしなやかさとを、もう一度かみしめてみたい。

 72年の「復帰」以降現在まで、またパラシュート訓練の受け入れにまでいきついた伊江村そのものと阿波根たちの関係についてはもっと触れられてよかっただろう。阿波鴻自身が高齢であって取材が不可能であるということを差し引いてもかなり残念な作りの本である。島の「外」の者である亀井が、1998年という今だからこそ迫れたものがそこにあったのではないか。『米軍と農民』と『人間の住んでいる島』が入手困難な今、本書の意味もあるとしても。

初出:「派兵チェック」80号(99.5)

【補】阿波根が自費出版した写真集には『人間の住んでいる島』というタイトルがついている。「人間とはどういうものか教えてやろう」(『米軍と農民』)という阿波根の、気骨がそこに現れている。「人間の住んでいる」という宣言は「軍用地を生産と生活の場に」という反戦地主たちの共通の想いでもある。で、この「手を耳より上に上げない」に象徴される「非暴力」の闘いが、辺野古で行なわれています。座り込みテントの中に、阿波根の遺影をかかげて。ついでに、この後、『人間の住んでいる島』とは別に、彼の写真集が出たと思う。

反戦と非暴力―阿波根昌鴻の闘いBook反戦と非暴力―阿波根昌鴻の闘い


著者:伊江島反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」,亀井 淳

販売元:高文研
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