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女性

【書籍】女たちの<銃後>

加納実紀代著 インパクト出版会/1995年8月  

自分を見直してみるきっかけに

 集会でも投書でも、共感できないなぁ、という種類の発言のひとつに、「男が起こした戦争のせいで、いつも女と子どもが被害者になる」というものがある。大枠そうなんだろうと思うのだが、違和感が残ってしまう。大概の戦争は男が起こす。男が権力者だからだ。逆にいえば、女は戦争を起こすような権力を手にしたことが少ない、ということだろう。「女の本質として戦争を起こすことはない」と同じ女から言われると、ちょっと待てよ、と思ってしまう。

 それでは女たちは銃後をどのように生きていたのか。本書は、第一章「銃後への胎動——一九三〇年代の女たち」、第二章「銃後の組織化——国防婦人会を中心に」で銃後へと向かう女たちとその社会背景を、第三章「それぞれの銃後」、第四章「銃後のくらし」で文字通り女たちの銃後を、第五章「女たちの八月十五日——銃後の終焉」で敗戦後の女たちを描いている。そこには様々な女たちが現れる。皇国史観を説いた女もいれば、中国に渡って日本の侵略と戦った女もいる。そして生活の中に入り込んでくる戦争にからめとられていく多くの女たちがいる。中でも私が印象深かったのは、国防婦人会の活動(後には大日本婦人会)を担い、「輝いていた」女たちであった。彼女らが「自主的に」生きた銃後は戦争における女の役割を現出しているし、何より私がその時代にいればそう生きただろう姿でもあるからだ。

 十五年戦争開始直後(象徴的な時期だ)、夫の出征前夜「何卒後の事を何一つ御心配御挫居ますな」との遺書を残して自害した井上千代子という女性がいた。この事件は「武人の妻の鑑」「昭和の烈婦」として有名だが、「夫婦仲もいいように見えなかった」千代子の自害は「夫の『後顧の憂』をたつための『昭和の烈婦』の自刃、とのみは考えにくい」(第二章)という。国防婦人会のその後の役割を考えるとき、発端となったこの事件の真相はもっと明らかにされてもよいと思う。

 この事件に触発された女性、安田せいの奔走で国防婦人会は発足し、軍部の後援を得、日本中の女たちを巻き込んで、思想戦・経済戦を戦う母体となっていく。国防婦人会の成長の原因を著者はそれぞれに検討しているが、これを「婦人の解放」と捉えた婦人運動家たちと、もっと単純に「解放の気分」を味わい、活動にうちこんだ女たちの自発性・積極性は見過ごせない。

 婦人会に見送られ、出征した兵士の一人はこう述懐する。「ひどいなあ、女は。あんなにやさしげな美しい顔をして、男を死地に追いたてるんだから……」(第二章)。情報の(種類の)少なさ、ある種の純粋さと「台所からの解放」感とが大きな落とし穴となって、彼女らは自ら「思想戦」を担い、戦わされていた。しかし、その時代を苦い思いで振り返る人がいる一方で、今なおその時の充実感を「『わが生涯最良の思出』として胸に暖めている女たちも多い」(第二章)となると、時代の女たちに課した重圧と、そのはけ口ともなった婦人会の役割の大きさとともに、自らの歴史をみつめることの重要性をあらためて感じる。

 それにしても、五〇年(以上)前と現在と、本質的にはたいしてかわっていないのかなと、本書を読むと思ってしまう。

 たとえばマス・メディアによって流される等質な情報。相変わらず権力のよしとする言論を大量にふりまいているさまは、今年のオウム真理教をめぐる報道で、あらためて明らかだ。その情報の中にはもちろん「おカミに協力するよい市民」像も含まれている。「おカミに都合のよい(安全)な運動」に流れていく傾向をさらに内包して。

 また、「女子の労働市場への参加」のために動員強化を進める婦人運動家らの活動は、結果的にせよ、現在の企業社会を支える「男並み労働」をすすめる「雇用均等法」を思い出させる。動員によって得た女性の職場が、復員してきた男性たちによってまた奪われていくのも、バブル時に生産力を補い、不景気になると解雇される女性パートを彷彿とさせる。平等を突き詰めていった先に、現在の婦人自衛官の増加が、そのもっと先に、たとえば女性にも適用される徴兵制や女性の天皇があるとすれば、やっぱり何か見落としているものがあるのではないか。

 さらに「革新っぽい軍部」への支持も人ごとではないし、街頭で服装に目を光らす婦人会の、「おカミの意向」「みんないっしょ」からはみ出たものへの排他性はまったく変わるところがない。

 何を根本に据えた解放であるのかが、この時代の婦人運動家あるいは女性一般に、問われるべき問題だった。それは現在の私たちにも同じに突きつけられている。足元をすくわれない運動をどのように組み立てるのか。ひとつのテーマを追いかけるときに、見落としている原則はないのか。無自覚なままに加害者の側に組み込まれてはいないか。

 本書は筑摩書房より一九八七年に刊行された同名の本の増補版である。九〇年代に入っての「従軍慰安婦問題」の急浮上から細川首相の「侵略戦争」発言などの動きの中で、著者自身が一度は「役割を終えた」と思った(「あとがき」)この本の再刊は、さらにその後の敗戦五〇年をめぐる状況を経て、もう一度自分自身を見直してみるためのひとつのきっかけを与えてくれる。

初出:「月刊フォーラム」1996年1月号

【補】そして敗戦60年をめぐる状況を経て、あああやんなっちゃったのだった。デビューの頃の書評です。なんか初々しいねぇ。とはいえ、状況は本質的にかわってないばかりか、どんどん悪くなってるねぇ。細川首相なんて人も、もはや胚芽米を売る工芸家だもんねぇ。(04.11)



Book

女たちの「銃後」


著者:加納 実紀代

販売元:インパクト出版会

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【書籍】女がヒロシマを語る

江刺昭子・加納実紀代・関千代子・堀場清子編 インパクト出版会/1996年8月  

「母性を越える」ことの困難さ

 「女がヒロシマを語る」と題されたこの本は、帯に「母性神話を越えて」とある。全編を通して、残念ながら、その試みは散見するものの、未消化に終わっている感を拭えない。

 構成は大きく三部。まず、「ヒロシマをめぐるディスクール」として、三人の文学者について(「大田洋子再読」江刺昭子、「栗原貞子の軌跡」石川逸子、「原爆歌人正田篠枝とわたし」古浦千穂子)と映画「黒い雨」「夢千代日記」の考察(「映画に描かれた女性被爆者像」マヤ・モリオカ・トデスキーニ)。次いで「少女にとってのヒロシマ」として、毒ガス島に動員された体験(「もうひとつのヒロシマ」岡田黎子)と、戦後ヒロシマの女学校について(「なぜ女学校は消えた?」関千枝子)。そして「ダンス・モノローグ ヒロシマのボレロ」(村井志摩子)をはさんで、この本のそもそものきっかけとなったシンポジウム「女がヒロシマを語る」の採録(「すべての人に伝えたい」堀場清子、「原爆災害と女性」関千枝子、「女がヒロシマを語るということ」加納実紀代)である。

 著者のそれぞれが、今まで「女性」の視点で被爆体験が語られてこなかったこと、語られた場合も「母」の心情あるいは「母になり損なった」とものとしての「原爆乙女」の悲劇が強調されすぎた傾向のあること、「母」の立場と「女性」の立場には自ずから違いのあることなどを意識しながらも、もう一歩踏み込めていないようだ。

 「女性とヒロシマ」というテーマが母性中心にならざるを得なかった理由のひとつには、女性=母またはその予備軍という価値観がある。それは書き手の側だけでなく、被爆者の側、とりわけ被爆した時点である程度の年齢に達していた女性を考えた場合、結婚して母となることが女の人生であり、幸せであるというその「常識」を、彼女らの多くも疑うことなく受け入れてきただろう。もちろん、それに対しての現在からの批判は必要である。しかし、そのような価値観で生きてきた以上、自分の考えていた「(女としての)幸せ」を奪われたという悲劇性が強調されることはやむを得ないだろう。そして何より、「母モノ」はわかりやすいのだ。関のいうように「父性無視」であったとしても。

 また、「女性」というものの規定も、「母になるもの(母性)」「母になる機能を持つ者(産む性)」とされながら、「母にならない者(母性からの逸脱)」を想定し、また「母になる機能を持たない者(産む性からの逸脱)」をも考えねばならない。「女性の視点」そのものが、一つのようでいて、多様にならざるを得なくなってくる。そこから来る曖昧さが、「女性」と「母性」との関係のそれでも現れてくる。女性を「母」「産む」「いのち」というキーワードで捉える以上、その曖昧さからは逃れられないだろう。さらにそしてそれは、今の多くの「女性と○○」を語る際の、切れ味の悪さにつながっている。

 「母性」より広い「女性」を考えるということでは、岡田黎子の女学生動員の記録や、関千枝子の二本のレポート(補論「『白い閃光 黒い雨』について」を含めて三本)は興味深かったし、堀場清子の文中に触れられている、助産婦らを動員して行われた遺伝調査の実態(調査結果というよりその過程)については、もっと踏み込まれ、広く問題にされるべきだろう。戦後、被爆した女性一人ひとりがどのように生きたか、生きねばならなかったか。「母性神話」から脱却できなかった者、脱却していった者、あるいは脱却せざるを得なかった者をも含めて、彼女らをとりまく戦後社会そのものが、検証されなくてはならない。被爆後五一年を経てなお、語られ、開かれ、掘り下げられなければならないことの多さを感じる。

 そのような意味でも私には、被爆体験を持ち、あるいは間接的に関わり続けた女性達の生き方の方が印象に残った。「被爆」と一口に言いながらも、その多様性とでもいうのか、大きなくくりでは「同じ体験」でありながら、生活の場所、年齢、家族たち……、状況によってまるで違う体験であるという、当たり前の不思議さがそこにはある。取り上げられた三人の文学者はもちろん、この本の著者や彼女らをとりまく人々の人生そのものが、「女性と原爆」というテーマを表しているようにも思う。具体的な、生の体験というものの強みなのだろうか。その個別の体験を、社会的な状況、特に被爆者、あるいは女性になされた政策と付け合わせていくことによって、「女性と原爆」の実像が見えてくるのだろう。また、そうして一人ひとりの具体的な生き死にを明らかにしていく作業を通して、数値ではない、原爆被害の実相を描き出すことができるのではないか。そのことは、この本の主題からは多少ずれるが、虐殺と虐殺を数で置き換えて相殺していくような論理や、全ての「戦死者」をひとくくりにしていく論理に対抗する力となるだろう。

初出:「月刊フォーラム」1996年11月号
 
【補】わー、もう10年も前の原稿かい。とはいえ、余り自分でその後の進歩を感じないような=つまり言っていることに変わりがないような気がするのはいいんだか悪いんだか(笑)。年を取って、「フェミニスト」とはますます距離が開いていったとはいえる。この「女性と○○」については厳しくなったな、我ながら。この頃から私は、一人ひとりの人生というものに、とりわけその選択に興味を持っている。ほんの一瞬の選択が大きく人生を変えてしまう。それが極端に現れるのが戦争という現場なのかも知れない。

女がヒロシマを語るBook女がヒロシマを語る


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