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文学

【書籍】子午線の祀り・沖縄−他一篇

木下順二著/岩波文庫(木下順二戯曲選)/1999.1/630円(税込)

 壇ノ浦というのは、一応自分の地元意識のうちなのだな。ウチは(正確には元祖母の家、だが)瀬戸内沿いとはいえ、宇部よりも広島よりだからたいして近くはないのだけど、「40過ぎて免許取ったら暴走族になりました」の父が、帰省のたびに「行くぞー」と言って中国道をぶっちぎり、関門トンネルを通って関門橋をとって返す、というのが慣習に(涙)。初めて関門トンネルを通ったときは小学校の低学年だったから、「海底トンネル」にすごく期待してたんだな(笑)。「海中」じゃなくて「海底」だよ、ただのトンネルだって、と今ならツッコメるのだが(涙)。「ハトヤの海中温泉」のようなわけにはいかないのだ。

 だから「赤間神宮」もたびたび行った。小さい頃は怖かったっすねー。「耳なし芳一」の像。最後に行ったのは多分15年かそこら前ですが(ははは、うっかりすると20年前か?)、その時一番怖かったのは「二位尼のテレホンサービス」。当時、流行ってたんだよね、パンダの声が聞こえるテレホンサービスとか。設置してある電話にお金を入れると「コンピュータ合成による二位尼の声」が聞けるというシロモノ。怖いから誰も試してみなかったけど、「波の底にも〜〜、都のさぶろうぞおおお〜」とか出てきたらコワイぞ、かなり。
 
 そんなわけで、というわけではないが「子午線の祀り」。知盛が主役の戯曲でなぜタイトルが「子午線」なのかというのがずっと知りたかったのだけど、納得。やっぱりうまいよ、木下順二。知盛はともかく、義経主従はやはり、大河ドラマの面々で思い浮かべてしまうが。知盛は元のイメージがやっぱり山岸凉子だから(「海底より…」←コワイぞ、これも)。

 脱線、脱線。「子午線」とは「天の北極」と「天の南極」をつないで地球をぐるっと回る、地理的にいうと「経線」。壇ノ浦の合戦の勝敗を決めた「潮の流れ」をこの子午線上の月の動きに合わせて淡々と語っていくのが素晴らしい効果を生んでいる。場面の緊迫感もそうだけれど、いわゆる「無常観」を表現するのに、これほど的確で美しい言葉があっただろうか。さらにこの足元からの浮遊感。私の足の捉える地表、盛り上がる海面。子午線とは経線のことだから、それは数限りなくある。北極と南極を繋ぐ線、全てが「子午線」。本作は潮を支配する月の存在を際だたせるためのものだから、その高さは月までの距離だが、思う高さ、思う距離で子午線を引くことができる。無数の子午線によって、任意の幅で地球を包む。それはまるで地球を内包する繭のようだ。その繭を思うとき、足元がふっと浮き上がり、自分がその繭を「外から見られる」場所へと飛ぶことができる。
 
 やはり見たい。思いっきり見たい。

 同時収録の群読劇「龍が見える時」は割と知られた説話を題材にした実験作(いわゆる「シュプレヒコール」ってヤツ?)。「沖縄」は復帰前にこれだけのものを発表したのはやっぱり凄い、と思わせるに足るもの。沖縄守備隊の生き残りである山野の造形が凄い。沖縄=土着=女という構図は相変わらずだが、発表時代(1960年)からすればやむを得ないかな。「子午線」の上演記録も興味深い。
 
 見るべきは見つ、か(しみじみ)。
  
(「綾瀬川的生活」2005年9月14日)
*日記ページからの抜粋です

子午線の祀り・沖縄―他一篇 (岩波文庫―木下順二戯曲選)Book子午線の祀り・沖縄―他一篇 (岩波文庫―木下順二戯曲選)


著者:木下 順二

販売元:岩波書店
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