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【書籍・雑誌】

【書籍】みるく世ややがて 沖縄・名護からの発信

浦島悦子著 インパクト出版会 2015.10

「今」へいたる道をたどる記録

 長く「インパクション」誌に連載された、名護在住の浦島悦子氏によるレポート。本書はその「インパクション」が休刊するまでと、その後他誌に掲載された文章を元にした、五年分の記録となる。本書に収録された二〇一〇年六月から二〇一五年八月という期間は、個人的には「派兵チェック」を終刊させた二〇一〇年二月に運動から離れて「四年間の休暇」に入っていた時期とも重なり、あらためてこの五年間になにが起き、何が行われたかを確認するのにたいへん役に立った。しかも自分のようにすぐに時系列がぐちゃぐちゃになってしまうタイプにとっては、時々こうやって「通史的」な確認をするのは必要かも。連載を読んでいるオンタイムで感じることとはまた別に、見えてくるものもあるし。

 さて、二〇一〇年六月、鳩山政権が「県外移設」の公約を撤回した直後の抗議集会から本書は始まり、その「県外移設」を公約に掲げた仲井間知事の誕生と公約破りによる終焉、翁長知事の誕生と新たな島ぐるみ闘争とが描かれる。

 

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【書籍】沖縄 近い昔の旅——非武の島の記憶

森口豁著/凱風舎/1999.5/本体1900円

わかりやすい沖縄入門と、見過ごしがたい見返しの歌

 本書は、沖縄出身の高校の同窓生に導かれ、「琉球新報」の記者として、日本テレビの特派員として、そして現在はフリーとして沖縄にこだわり続けている森口豁の沖縄人(ウチナンチュ)交流録兼沖縄入門である。ここには、シナリオライターの金城哲夫や知花昌一、喜納昌吉、「佐喜真美術館」の佐喜真道夫、また対馬丸、ジュゴン、人頭税といった、沖縄に興味をもつ人なら知っているような人や事柄と、もっと個人的な知人たちの戦争体験、民俗文化、孤島の現在などが散りばめられている。

 「ぼくは、この本をできるだけ若い人に読んでほしいと願っている。この国をこんなに醜い国にしてしまったのは大人たちだが、時代を担う人たちには、この国の過去と現在を負の教材、つまり反面教師として、なんとしてもプラスに変えてほしいと願っている……それぞれの文章が、多分にして二項対立的な図式になったのもそういう理由からである。」(太字:原文では傍点)

 森口の「あとがき」、つまり本書の視点である。

 正直なところ、読み進むにつれ何とはなしの「ヤな感じ」がまとわりついて仕方がなかった。例えば筑紫哲也や池沢夏樹にみられるように、沖縄を愛するあまりにありがちな、立場のぐらつきも感じないではなかった。どの人もどの事項も一冊のあるいはそれ以上の書物が書けるようなものだから仕方がないのだが、それにしても物足りなさの残る項目が多く、こんなところでまとめてどうする、という煮えきらない感じ。それは、「あとがき」を読んでおおむね合点がいった。あとはこの中からもっと知りたいことを拾い出し、次々にステップアップしていけばいい。充実した脚注や豊富な写真も含めて、沖縄とその戦後史、沖縄をとりまく問題について知りたい人にはオススメだ。

 しかし、もう一つの「ヤな感じ」はもっと具体的な問題だ。つまり表見返しに印刷された森口の作詞、海勢頭豊作曲による「九月四日の誓い」と題された歌と、裏見返しの「新国民歌 われら愛す」という芳賀秀次郎作詞・西崎嘉太郎作曲による混成合唱曲との二つの歌詞付き楽譜である。おかげで私にとってはこの本自体が「ヤな感じ」で始まり「ヤな感じ」で終わるという不幸な構成になってしまった。

 「九月四日の誓い」は、一九九五年の「少女暴行事件」の少女に寄せた歌である。これを読んだ瞬間に、同じ事件に題材をとった喜納昌吉の「少女の涙に虹がかかるまで」という歌と、それを集会主催者として舞台袖で聞いた時の、喜納がまさに「歌いあげる」というように歌いあげ、聴衆が踊りながら感動をもって応えるというその「ヤな感じ」、「この曲がねぇ、本当にいいんですよ、僕は涙がでるなぁ」というようなことを進行の男性が囁いた「さらにヤな感じ」とが甦ってきた。

 森口の詞の方は、喜納のものよりはクールに見えるが、よく読むとこの「わたし」が森口なのか、少女なのかよくわからない。「わたし」=森口の「胸のなかは月のない夜のよう」で、「闇を照らすお月様」を欲し、九月四日に誓いをたてたというのなら、「ヤな感じ」はしない。が、本文に「人前に名乗り出て言いたいことも自由に言えない一人の少女の気持ちをおもんぱかって書いた」とある通り、「わたし」=少女の気持ちであるというのなら、それはやはり違うだろうと思う。少女はまだ生きていて、変わってゆく権利も可能性も持っており、彼女の現在の気持ちはそれこそ「おもんぱかる」ことしか私たちにはできない。多くの人々が彼女の「勇気ある告発」に呼応して立ち上がったし、今もそこを原点に闘い続けている。しかし、「少女に勇気づけられた私」と、「少女の気持ちになる私」とは自ずから違う。私はこれらの歌に、少女を九五年のあの時にピンで差して保存しておくような痛々しさを感じる。少女を忘れてしまうのではないけれども、少女のためではない自分自身の闘いを、私たちはすべきではないのか。

 また枝葉末節のようにも思えるが、「強姦者」を「獣」に例えるのも、そろそろやめて欲しい。性欲の強さを「獣のよう」、本来人間以外はほとんど行わない強姦を「獣の行い」とすることで、強姦を男性の本能からくる「どうしようもないこと」と一定正当化するために役立ってきた表現である。

 もう一つの「国歌」論について言及する紙幅がなくなってしまった。私は「この日本を愛します」なんていう歌に共感はしないし、「君が代」よりましに見えても「うたは一度権力の側に委ねられると取り替えしのつかない結果を招くことになる」と森口も指摘する通りで、「誰もが喜べる国旗や国歌」などというフィクションに加担したくないと、述べるにとどめる。

(「インパクション」115号 99.8)

【補】いろいろ書いてますが、「戦後沖縄問題と呼ばれるものにどのようなものがあるか」ということを、網羅的に手軽に知るためにはとてもいい本です。この本の中から、自分が興味を持ったトピックについて、自分で探して深めていけばよいことで。

【補2】この原稿が掲載された後、新崎盛暉さんが自著(「沖縄同時代史第9巻」)に収録された同書の書評の「補記」として、「わたしとは力点の置きどころがまるで違うが、共感できる書評であった」と取り上げてくださいました。めちゃくちゃ嬉しかったです。(2008.3.15)

【書籍】バレエの鑑賞入門

 渡辺真弓編集/世界文化社(ほたるの本)/2006.11/1890円(税込)

 世界文化社から新しいバレエ入門本が、しかも瀬戸秀美さんの写真で出るというのでチェック。したらいきなり

 「こんなところにシヴァコフが!」

 出世したなー。おねぃさんは嬉しい。
 えーっと、「物語とみどころがわかる*バレエの鑑賞入門」。表紙はザハロワです。裏は新国立のくるみ。作品紹介の「白鳥の湖」の写真がシヴァコフとペレンです。グランアダージョ1枚、黒鳥のGPDD1枚で、こちらは両方おそらく初出。ほかにグランアダージョの最後のポーズ(キャプションが「2幕のラスト」になってるけど)で、こちらはマールイのチラシにほぼ毎回載ってる見慣れた写真(一応これもシヴァですね)。それからコールド1枚。大盤振る舞いだわっ。瀬戸さんありがとー♪ グランアダージョの方は同じ写真が目次にも使われています。妙に初々しい横顔だわー。いやー、出世、出世。

 今回は何気にマールイ含有率もあがっていて、ジゼルはルジマトフとザハロワが出た時のもの。ペザントでミリツェワと……ヴェギニー?(正直これならハンスかミルタにして欲しかったなぁ)。口絵にはクチュルクとファジェーエフのドンキも。あとは「リーズ」が牧で(伊藤さんとドゥガラー)、「くるみ」が新国立(真忠さん)、ドンキがABT(カレーニョとマーフィー)。マノンがバッセルでオネーギンがルグリ。個人的には、ロミオがフォーゲルじゃないのが、ぶううう。
 まあ、あんまり並べてもこれから見る人がつまらないだろうと思うので、こんなところで。

 シヴァのせいで即買いしちゃいましたけど、本としてはたいしてよくはないです。全体に写真が新しく、カラー満載なので、写真を見るにはいいかな、というところ。ぴあのムックが小さくなったようなつくりかな。主力は「バレエ名作30」で、物語と見どころと写真だけれど、全幕ものが主体で小品が11作。ガラの予習などに使うには、やはり新書館の「バレエ101物語」にかなうものは今のところないでしょう(こっちは写真が少ないのが淋しいけどね)。大体ベジャールが「ボレロ」しかないってどうよ。しかもそのボレロの写真がこれってどうよ(ドンの写真にしても、もっといい写真いっぱいあるのにー)。まあ30と101じゃ大違いだからしょうがないけど。初心者本としては、こんなものなのかなー。ぴあのムックや「SWAN」に比べれば、下品な文章がないだけいいのかも。

 「世界で活躍するダンサー」に都さんと森下さんと熊さんが出ていて、「日本のダンサー紹介」はなし。それから「海外バレエ団と劇場の紹介」があって、「日本のバレエ団」は見開き2ページで一括。東バの「退団した首藤康之のゲスト出演も多い」って、多くはねぇだろう(笑)。それにしてもベジャール・ローザンヌも「その他のバレエ団」にちょろっと書いてあるだけだもんなぁ。ぶううう。

 というわけで、まずは店頭で写真チェックをして、気に入った写真があったら買う、というところですかね。本文を全部きちんと読んだわけではないですが。マナーのところで、「音楽が始まったら雑談しない」「夢中になりすぎて前のめりにならない」というのが入ったのは評価、だな。とりあえずシヴァファンはGo!

(「綾瀬川的生活」2006年11月11日)
*日記ページからの抜粋です

バレエの鑑賞入門 (ほたるの本)Bookバレエの鑑賞入門 (ほたるの本)


販売元:世界文化社
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【書籍】子午線の祀り・沖縄−他一篇

木下順二著/岩波文庫(木下順二戯曲選)/1999.1/630円(税込)

 壇ノ浦というのは、一応自分の地元意識のうちなのだな。ウチは(正確には元祖母の家、だが)瀬戸内沿いとはいえ、宇部よりも広島よりだからたいして近くはないのだけど、「40過ぎて免許取ったら暴走族になりました」の父が、帰省のたびに「行くぞー」と言って中国道をぶっちぎり、関門トンネルを通って関門橋をとって返す、というのが慣習に(涙)。初めて関門トンネルを通ったときは小学校の低学年だったから、「海底トンネル」にすごく期待してたんだな(笑)。「海中」じゃなくて「海底」だよ、ただのトンネルだって、と今ならツッコメるのだが(涙)。「ハトヤの海中温泉」のようなわけにはいかないのだ。

 だから「赤間神宮」もたびたび行った。小さい頃は怖かったっすねー。「耳なし芳一」の像。最後に行ったのは多分15年かそこら前ですが(ははは、うっかりすると20年前か?)、その時一番怖かったのは「二位尼のテレホンサービス」。当時、流行ってたんだよね、パンダの声が聞こえるテレホンサービスとか。設置してある電話にお金を入れると「コンピュータ合成による二位尼の声」が聞けるというシロモノ。怖いから誰も試してみなかったけど、「波の底にも〜〜、都のさぶろうぞおおお〜」とか出てきたらコワイぞ、かなり。
 
 そんなわけで、というわけではないが「子午線の祀り」。知盛が主役の戯曲でなぜタイトルが「子午線」なのかというのがずっと知りたかったのだけど、納得。やっぱりうまいよ、木下順二。知盛はともかく、義経主従はやはり、大河ドラマの面々で思い浮かべてしまうが。知盛は元のイメージがやっぱり山岸凉子だから(「海底より…」←コワイぞ、これも)。

 脱線、脱線。「子午線」とは「天の北極」と「天の南極」をつないで地球をぐるっと回る、地理的にいうと「経線」。壇ノ浦の合戦の勝敗を決めた「潮の流れ」をこの子午線上の月の動きに合わせて淡々と語っていくのが素晴らしい効果を生んでいる。場面の緊迫感もそうだけれど、いわゆる「無常観」を表現するのに、これほど的確で美しい言葉があっただろうか。さらにこの足元からの浮遊感。私の足の捉える地表、盛り上がる海面。子午線とは経線のことだから、それは数限りなくある。北極と南極を繋ぐ線、全てが「子午線」。本作は潮を支配する月の存在を際だたせるためのものだから、その高さは月までの距離だが、思う高さ、思う距離で子午線を引くことができる。無数の子午線によって、任意の幅で地球を包む。それはまるで地球を内包する繭のようだ。その繭を思うとき、足元がふっと浮き上がり、自分がその繭を「外から見られる」場所へと飛ぶことができる。
 
 やはり見たい。思いっきり見たい。

 同時収録の群読劇「龍が見える時」は割と知られた説話を題材にした実験作(いわゆる「シュプレヒコール」ってヤツ?)。「沖縄」は復帰前にこれだけのものを発表したのはやっぱり凄い、と思わせるに足るもの。沖縄守備隊の生き残りである山野の造形が凄い。沖縄=土着=女という構図は相変わらずだが、発表時代(1960年)からすればやむを得ないかな。「子午線」の上演記録も興味深い。
 
 見るべきは見つ、か(しみじみ)。
  
(「綾瀬川的生活」2005年9月14日)
*日記ページからの抜粋です

子午線の祀り・沖縄―他一篇 (岩波文庫―木下順二戯曲選)Book子午線の祀り・沖縄―他一篇 (岩波文庫―木下順二戯曲選)


著者:木下 順二

販売元:岩波書店
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【書籍】学校は軍隊に似ている——学校文化史のささやき

新谷 恭明著 /出版 : 福岡県人権研究所/発売 : 海鳥社/2006.3/1200円+税

 機関誌に連載されたコラムなので、広く浅いトリビア集といったところ。「蛍の光」の3番とか、教育塔とか、戦時中の皇民化教育問題や教育基本法問題に首を突っ込んだ人間なら、大体聞いたことのある話題が多いけれど、それでも「へえ」という話も入っている。ま、とてもお手軽でそれなりに面白かった。この手の話の初心者向けとしてはよくできてます。114ページだからすぐ読めるしね。

 1886年に森有礼文相が制定した「師範学校令」にある教師の必要気質「順良・親愛・威重」すなわち「上には無批判に、互いに守り合い、子どもや保護者にはえらそうに」という人材養成のモデルを軍隊に求め、そのシステムを師範学校教育に採用した……というところから、この本は始まる。例えば「気をつけ!礼!」、学生服、寄宿舎生活の管理徹底(曰く「頭髪、着るもの、持ち物、食べるもの、掃除の仕方……」どこかで聞いたよね)などがどのように導入されたか、とか。

 特に面白かったのは、修学旅行の始まり。「軍隊に倣って行軍旅行を為すべし」で始まったものが、師範学校の教員たちの意地でどのように変節したか、そしてさらに生徒たちがそれを骨抜きにしていった過程がなかなか楽しい。いやー、人間ってなんやかんやいってもそんなもんよね、というのが救いだな。

 それにしても学生というものは、古今東西を問わず、枕を見れば投げるものなのかいね? 「ファントマ電光石火」でも、寄宿学校にいるエレーヌの弟が、舎監をからかったあげく大規模な枕合戦をやって停学になる場面があったけど(で、エレーヌが連れ歩いている間に、ファントマに誘拐されちゃうというわけ)。修学旅行が始まっていくらもしない間にもう、「枕を投げるな」だもんな。さすがに中国にあるような陶製の枕だったら投げないんだろうけどなー(←後が大変)。

 ……いちばん印象に残ったのが「学生と枕投げ」じゃまずいよな、多分(苦笑)。

(「綾瀬川的生活」2006年9月30日)

*日記ページからの抜粋です

Book学校は軍隊に似ている―学校文化史のささやき


著者:新谷 恭明

販売元:福岡県人権研究所
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【書籍】過防備都市

五十嵐太郎著/中公新書ラクレ/2004.7/798円+税

 本当につくづくと、こんな社会に住んでるのがいやんなる。
 私は以前、監視カメラ社会について「エレベータで鼻くそもほれなくなる社会」って言ったんだけど(笑)、こんだけどこにでもカメラがあるなら、電車で化粧しようがどこでしようが同じだって気にもなるな。いつでも誰か(何か)に見られているってすごいストレスだと思うんだけど、そういう中で小さい頃から過ごす子どもたちってどうなっちゃうんだろう。驚いたのは、保育園の中もカメラがあって、それは保母さん(って今は言わないのか)が子どもたちをどう扱ってるか、親が携帯でチェックするため、っていうわけ。そりゃ虐待とか事故とか以前もあって、親が心配するのもわかるけどさ。何ちゃんがいじめた、とか見てるのね、職場から。もう少し大きくなった子どもたちは今度はGPS付きの携帯を持たされて、今どこにいるか親が自分の携帯でチェックするわけ。連れ去られないように、っていうんだけど、買い食いとか寄り道とか塾さぼりとか、全然できないわけよ。そうやって自分の何もかもを親に把握される子どもってどうなわけ? 私だったらストレスでおかしくなっちゃうよ。河合隼雄の『心のノート』ですでに内心の「秘密の小部屋」も否定された子どもたちに、これってたまらなくない? 
 以前、ベルリン在住で日独交流をやってる日本人から、「権力が一番最初に制限するのは『移動の自由』なんだよ」って聞いたことがあって、その時はピンとこなかったんだけど、最近実感するなぁ。でも今のやり方って、わざわざ「キレて暴れる子ども」を作ろうとしてるとしか思えないんだけどなぁ。

(「綾瀬川的生活」2004年9月19日)

*日記ページからの抜粋です

過防備都市 (中公新書ラクレ)Book過防備都市 (中公新書ラクレ)


著者:五十嵐 太郎

販売元:中央公論新社
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【書籍】崩壊する映像神話

新藤健一著 ちくま文庫/2002.11/880円+税   

写真を撮る/見る/使う責任を振り返る

 本書は共同通信でカメラマンを長年務める著者が、自身の体験を交えつつ、写真や映像の持つ危うさを解明したものである。一九八六年の『映像のトリック』(講談社)に加筆したものなので、本論の部分はやや古い事例も多い。例えば有名な戦時中のプロパガンダ雑誌「FRONT」の航空機割増写真や「朝日新聞」のサンゴ事件、豊田商事、グリコ森永事件の「キツネ目の男」、越山会報の田中角栄リハビリ写真……。「いやあ、あったねえ、そういう事件」が満載である。それらを報道現場の目、写真を撮る側の目で解いていくのだから、実におもしろい。が、おもしろいとばかり言っていても紹介にならないので、いくつかの論点をあげておく。

 「ヤラセ」について。川口探検隊(懐かしい!)に代表されるドキュメント・バラエティなるものについては、「ヤラセじゃない」とどの程度の人が思っているかの方が問題だろうとは思う。むしろ「ヤラセだ」と思いながら楽しむ作風を日本中が身につけてしまったことが怖い。

 軍事写真について。偽の衛星写真の話がここでは取り上げられているが、個人的には非常におもしろかった。アフガン戦争でも北朝鮮核施設でも「衛星写真」なるものはずいぶん出ていたが、「衛星からここまで見えるんだ、すっげー」とついだまされてしまいがちな昨今、分解能などの知識は覚えておこう。

 そして、被害者の写真について。
 事故でも戦場でも、悲惨な状況を前に、シャッターを切るのかどうするのか。

「……サリドマイド児の写真なくしてサリドマイド禍は伝えられない。ケロイドや黒コゲの焼死体写真なくして広島、長崎の惨状は伝えられない。しかし、いたずらにセンセーショナルであることだけを狙った写真は、伝えることにどんな意味があるのか。……安易な方法でセンセーショナルな部分だけを狙えば、必ずその取材に規制がかかることになる」。著者は死体の写真を撮りたがったり、大勢の報道陣が殺到して混乱が生じたりする事態に対し、「いつまでも自ら首を絞めるようなバカげた取材を続けるならば、いずれ自らの表現の自由を放棄することにつながるのだ、ということを肝に銘じるべき時である」と、それらは実際に、メディア規制三法案にその隙を与えているのだ、と警鐘を鳴らす。

 その一方で、彼はロンゲラップ島で、核実験の後遺症として「奇形」を持って生まれた子どもを前に躊躇する。撮るべきか、撮ってはいけないのか。公表すべきなのか、否か。

 同様の思いは例えばイラクで劣化ウラン弾の後遺症の取材をしてきた人たちからも聞いた。そしてその写真を使って街頭情宣を行なう私たちもまた、その迷いを共有する。わかりやすい写真、人目を引く写真。情宣を行ないながらふと、自分たちはこの人たちの不幸を利用しているのか?との思いがよぎることもある。とにかくこの状況を見て、知って欲しい、止めるための何かをして欲しい、との思いで写真を掲げる。そうすることで、写されたこの人たちに、私たち自身がいくばくかの責任をとるのだ、と私は思う。ほかに方法も思いつかないのだから。「残酷な写真を出すと人が引いてしまう」とかいう話ではなくて。

 かつて写真やビデオというのは、有無を言わさぬ証拠だった。それがもはや証拠としての意味をなさなくなっていることを確認しつつ、そこから読みとれるだけのものを読みとる力をつけることもまた、情報に惑わされないために必要になったのだと、あらためて思う。

初出:「市民の意見30の会・東京ニュース」76号(03.2)

【補】古巣の団体にものすごく久しぶりに書いた原稿。ちなみに「東京ニュース」ではなく、「……・東京」までが団体名です(どーでもいいが)。「分解能」というのは、例えば「15cmの分解能」というと、15cmの物を1ドットとして認識できる能力のこと。だから「15cmの物まで判別可能」という表示は、「そこに15cmの物が存在することがわかりますよ」ということで、その物が何かまではわからないわけです。親本が書かれた86年の段階で、アメリカの偵察衛星の分解能は14cmと言われていたそうですが(無論正式には機密事項)、あれから20年近く経ってるから今はどうなんだか。ただ衛星写真については「そんなもの公表したら衛星の性能がわかっちゃうじゃん」ということで、表に出ないのではないかというのが著者の意見。自分でもphotoshopとか使って思うけど、写真ももはやそれ自体だけでなく「誰がどこでどのように撮ったか」まで考えないと、結構足元すくわれる気がします。最近はダンナのおかげで「どっからどー撮ったんだよ」ってのがずいぶん気になるようになりましたが。この手のトリック写真で一番「すげー」と思ったのは、別の本に出ていた文化大革命当時の「子どもが乗っても倒れない稲穂」ってヤツだな。無理ありすぎ。「ゾウが乗っても……」。(04.8)

【書籍】戦後世代の戦争責任

田口裕史著 樹花舎/1996年8月/1500円+税  

「非道な事実そのもの」に真面目に向き合う本

 「田口さんはまじめだなぁ」。嫌みでなく、素直にそう思った。この本の中でも幾人かが漏らしているが、私もまた、「戦争責任をうやむやのままにしているということにおいて戦後責任を負っている」と単純に割り切ろうとし、そうすることによって戦争責任と自分との直接の関係を問うことを保留し続けてきたクチだったから、彼の、戦争責任と真っ向から向かい合い、解きあかそうとする姿勢に素直に感心してしまったのだ。

 本書は1963年生まれの著者が、「戦後世代」にとって「戦争責任」とはどのようなものなのか、罪と責任について、謝罪と反省について、「責任」という概念自体の分類・整理をしながら緻密に論じたものである。ちょっと理論的過ぎるかな、と思うところもないではなかったが、戦後補償運動を担うなかで直面する様々な問いかけに対して、いわば「走りながら考えた」これらのことは、いくつもの手がかりを含んでいる。

 著者は「戦後世代」を「私とその同世代およびそれ以降の人間」と定義づけている。一般的に使われている範囲設定ではない。しかし、「はじめに」の冒頭に書かれている文章で、著者と同世代の私には腑に落ちるものがあった。

 「子どもの頃の私にとって、戦争とは、映画やテレビ画面の中に存在するものでしかなかった。ベトナム戦争に関わる記憶も、かすかに残ってはいるが、とうてい『自分のこと』であったとは言えない。/だから私は、同世代の多くと同じように、戦争から遠く離れて生まれて育っている」

 かつて「戦争を知らない子どもたち」を歌った世代(全部とはいえないまでも)はリアルタイムのベトナム戦争と向かい合った。けれど、「戦後の混乱」もGHQも朝鮮戦争もベトナム戦争も「自分のこと」ではなかった世代の「戦争」というもの——「アジア・太平洋戦争」だけではなく一般名詞の戦争をも含めた——との距離感を、著者の定義は表しているように思う。この距離感から派生するものは様々だ。本書の冒頭で検討される高市早苗議員の発言も、現在論議されている藤原信勝の「自由主義史観」なるものも、それと無縁ではない。藤岡自身は戦中生まれであり、その支持者も「戦後世代」ばかりではないが、彼の「日本人であることに誇りを持てるような教育を」という主張とその根拠とする若者たちの姿は、そこを突いている。

 この「戦後世代」たちは、直接の戦争の当事者でなく、被害の経験すら持たないゆえに、日本のおかした(戦争)犯罪を認め、追及していくことができる、と可能性を込めて言われたこともあった。同時に、藤岡式に言えば自国の歴史に誇りを持てずにしょぼくれている若者でもある。私の実感では「戦争だから仕方ないじゃん」と「見るとかわいそうだから見ないの」とが双璧だ。どっちみち「他人事」でしかない。

 藤岡は、日本近現代史の前に後込みする人々に、歴史の臭いものにふたをし、明治期の評価を「修正」することで、「日本人としての誇り」を取り戻そうと言う。昨年末、著者を招いて行なわれた討論集会でも、「日本人としての連続性」は論点のひとつとなった。田口は「罪」と「責任」、本書で言えば「罪に近い責任」=直接の行為と「義務に近い責任」=主権者としての責任とを整理し、議論を明確化している。そして「反省」を「その過ちがどうして行なわれたのかを検証し、繰り返さないための方法を探る」(実際にはもっと細かく定義づけられているが、うんと端折っていえば)と定義づけ、「謝罪」と区別することによって、自ら(と「戦後世代」)に引き寄せている。また「日本人だから罪がある」式の論議、その裏返しである「戦後補償によって日本人としての誇りを」という論議に対しては、民族主義の落とし穴に陥る可能性を指摘する。その上で彼自身は、戦争責任があろうがなかろうが「行なわれたことが非道だから責任を担う」ことを根拠とし、人間として「非道な事実そのもの」に向き合い、それを自らのこととして「反省」していく方法を探ろうとする。その作業は、藤岡の言う「自虐」とは全く反対のものである。

 本書を書いている時点で、著者に「自由主義史観」なるものへの明確な意識があったかどうかは、時間的にいってわからない。が、意識的にかどうかはともかく、それを撃ち崩すための様々な示唆が、本書には盛り込まれている。今回、全く偶然に藤岡の著書と平行して本書を読み返しながらそう思った。

 また、運動とは関わりのない同世代の友人と話すときに私が時折感じるいらだちめいたものと、ある種同質な感情を著者も持ったことがあったのだろうと思わせる箇所もいくつかあった。本書全体が、「戦後世代」の持つ戦争あるいは「戦争責任」との距離感、さらにはささやかな異議申し立てを含めた「運動」との距離感を埋める試みともいえるのではないだろうか。

 本書の後半には、彼が実際に関わっている朝鮮人BC級戦犯を支える運動の中での体験、当事者の人々や韓国の若者との交流、「戦後50年」の年にイギリス、ドイツを訪れた際の報告などが載せられており、どちらも「戦争責任」を考えるうえでの手がかりとなる。巻末にはテーマ別のブックガイドがあり、結構便利だ。

 蛇足ながら、本書の出版後、さる新聞で田口と高市の公開往復書簡が企画され、実際に何度か書簡のやりとりがあったそうだ。残念ながら企画自体がボツになったそうだが、これもぜひ読みたい。

初出:「月刊フォーラム」1997年4月号

【補】最近のいろいろをみるにつけ、今こそこの本が必要なんでないかい? と思って取り急ぎ、アップしました。田口さんのサイトもなかなか資料充実です。藤岡本人は最近聞かないけど、自由主義史観グループは、今度は「沖縄の集団自決はまぼろしだった」とか相変わらず元気にやってるし。

Book戦後世代の戦争責任

著者:田口 裕史
販売元:樹花舎
Amazon.co.jpで詳細を確認する

【書籍】女たちの<銃後>

加納実紀代著 インパクト出版会/1995年8月  

自分を見直してみるきっかけに

 集会でも投書でも、共感できないなぁ、という種類の発言のひとつに、「男が起こした戦争のせいで、いつも女と子どもが被害者になる」というものがある。大枠そうなんだろうと思うのだが、違和感が残ってしまう。大概の戦争は男が起こす。男が権力者だからだ。逆にいえば、女は戦争を起こすような権力を手にしたことが少ない、ということだろう。「女の本質として戦争を起こすことはない」と同じ女から言われると、ちょっと待てよ、と思ってしまう。

 それでは女たちは銃後をどのように生きていたのか。本書は、第一章「銃後への胎動——一九三〇年代の女たち」、第二章「銃後の組織化——国防婦人会を中心に」で銃後へと向かう女たちとその社会背景を、第三章「それぞれの銃後」、第四章「銃後のくらし」で文字通り女たちの銃後を、第五章「女たちの八月十五日——銃後の終焉」で敗戦後の女たちを描いている。そこには様々な女たちが現れる。皇国史観を説いた女もいれば、中国に渡って日本の侵略と戦った女もいる。そして生活の中に入り込んでくる戦争にからめとられていく多くの女たちがいる。中でも私が印象深かったのは、国防婦人会の活動(後には大日本婦人会)を担い、「輝いていた」女たちであった。彼女らが「自主的に」生きた銃後は戦争における女の役割を現出しているし、何より私がその時代にいればそう生きただろう姿でもあるからだ。

 十五年戦争開始直後(象徴的な時期だ)、夫の出征前夜「何卒後の事を何一つ御心配御挫居ますな」との遺書を残して自害した井上千代子という女性がいた。この事件は「武人の妻の鑑」「昭和の烈婦」として有名だが、「夫婦仲もいいように見えなかった」千代子の自害は「夫の『後顧の憂』をたつための『昭和の烈婦』の自刃、とのみは考えにくい」(第二章)という。国防婦人会のその後の役割を考えるとき、発端となったこの事件の真相はもっと明らかにされてもよいと思う。

 この事件に触発された女性、安田せいの奔走で国防婦人会は発足し、軍部の後援を得、日本中の女たちを巻き込んで、思想戦・経済戦を戦う母体となっていく。国防婦人会の成長の原因を著者はそれぞれに検討しているが、これを「婦人の解放」と捉えた婦人運動家たちと、もっと単純に「解放の気分」を味わい、活動にうちこんだ女たちの自発性・積極性は見過ごせない。

 婦人会に見送られ、出征した兵士の一人はこう述懐する。「ひどいなあ、女は。あんなにやさしげな美しい顔をして、男を死地に追いたてるんだから……」(第二章)。情報の(種類の)少なさ、ある種の純粋さと「台所からの解放」感とが大きな落とし穴となって、彼女らは自ら「思想戦」を担い、戦わされていた。しかし、その時代を苦い思いで振り返る人がいる一方で、今なおその時の充実感を「『わが生涯最良の思出』として胸に暖めている女たちも多い」(第二章)となると、時代の女たちに課した重圧と、そのはけ口ともなった婦人会の役割の大きさとともに、自らの歴史をみつめることの重要性をあらためて感じる。

 それにしても、五〇年(以上)前と現在と、本質的にはたいしてかわっていないのかなと、本書を読むと思ってしまう。

 たとえばマス・メディアによって流される等質な情報。相変わらず権力のよしとする言論を大量にふりまいているさまは、今年のオウム真理教をめぐる報道で、あらためて明らかだ。その情報の中にはもちろん「おカミに協力するよい市民」像も含まれている。「おカミに都合のよい(安全)な運動」に流れていく傾向をさらに内包して。

 また、「女子の労働市場への参加」のために動員強化を進める婦人運動家らの活動は、結果的にせよ、現在の企業社会を支える「男並み労働」をすすめる「雇用均等法」を思い出させる。動員によって得た女性の職場が、復員してきた男性たちによってまた奪われていくのも、バブル時に生産力を補い、不景気になると解雇される女性パートを彷彿とさせる。平等を突き詰めていった先に、現在の婦人自衛官の増加が、そのもっと先に、たとえば女性にも適用される徴兵制や女性の天皇があるとすれば、やっぱり何か見落としているものがあるのではないか。

 さらに「革新っぽい軍部」への支持も人ごとではないし、街頭で服装に目を光らす婦人会の、「おカミの意向」「みんないっしょ」からはみ出たものへの排他性はまったく変わるところがない。

 何を根本に据えた解放であるのかが、この時代の婦人運動家あるいは女性一般に、問われるべき問題だった。それは現在の私たちにも同じに突きつけられている。足元をすくわれない運動をどのように組み立てるのか。ひとつのテーマを追いかけるときに、見落としている原則はないのか。無自覚なままに加害者の側に組み込まれてはいないか。

 本書は筑摩書房より一九八七年に刊行された同名の本の増補版である。九〇年代に入っての「従軍慰安婦問題」の急浮上から細川首相の「侵略戦争」発言などの動きの中で、著者自身が一度は「役割を終えた」と思った(「あとがき」)この本の再刊は、さらにその後の敗戦五〇年をめぐる状況を経て、もう一度自分自身を見直してみるためのひとつのきっかけを与えてくれる。

初出:「月刊フォーラム」1996年1月号

【補】そして敗戦60年をめぐる状況を経て、あああやんなっちゃったのだった。デビューの頃の書評です。なんか初々しいねぇ。とはいえ、状況は本質的にかわってないばかりか、どんどん悪くなってるねぇ。細川首相なんて人も、もはや胚芽米を売る工芸家だもんねぇ。(04.11)



Book

女たちの「銃後」


著者:加納 実紀代

販売元:インパクト出版会

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【書籍】女がヒロシマを語る

江刺昭子・加納実紀代・関千代子・堀場清子編 インパクト出版会/1996年8月  

「母性を越える」ことの困難さ

 「女がヒロシマを語る」と題されたこの本は、帯に「母性神話を越えて」とある。全編を通して、残念ながら、その試みは散見するものの、未消化に終わっている感を拭えない。

 構成は大きく三部。まず、「ヒロシマをめぐるディスクール」として、三人の文学者について(「大田洋子再読」江刺昭子、「栗原貞子の軌跡」石川逸子、「原爆歌人正田篠枝とわたし」古浦千穂子)と映画「黒い雨」「夢千代日記」の考察(「映画に描かれた女性被爆者像」マヤ・モリオカ・トデスキーニ)。次いで「少女にとってのヒロシマ」として、毒ガス島に動員された体験(「もうひとつのヒロシマ」岡田黎子)と、戦後ヒロシマの女学校について(「なぜ女学校は消えた?」関千枝子)。そして「ダンス・モノローグ ヒロシマのボレロ」(村井志摩子)をはさんで、この本のそもそものきっかけとなったシンポジウム「女がヒロシマを語る」の採録(「すべての人に伝えたい」堀場清子、「原爆災害と女性」関千枝子、「女がヒロシマを語るということ」加納実紀代)である。

 著者のそれぞれが、今まで「女性」の視点で被爆体験が語られてこなかったこと、語られた場合も「母」の心情あるいは「母になり損なった」とものとしての「原爆乙女」の悲劇が強調されすぎた傾向のあること、「母」の立場と「女性」の立場には自ずから違いのあることなどを意識しながらも、もう一歩踏み込めていないようだ。

 「女性とヒロシマ」というテーマが母性中心にならざるを得なかった理由のひとつには、女性=母またはその予備軍という価値観がある。それは書き手の側だけでなく、被爆者の側、とりわけ被爆した時点である程度の年齢に達していた女性を考えた場合、結婚して母となることが女の人生であり、幸せであるというその「常識」を、彼女らの多くも疑うことなく受け入れてきただろう。もちろん、それに対しての現在からの批判は必要である。しかし、そのような価値観で生きてきた以上、自分の考えていた「(女としての)幸せ」を奪われたという悲劇性が強調されることはやむを得ないだろう。そして何より、「母モノ」はわかりやすいのだ。関のいうように「父性無視」であったとしても。

 また、「女性」というものの規定も、「母になるもの(母性)」「母になる機能を持つ者(産む性)」とされながら、「母にならない者(母性からの逸脱)」を想定し、また「母になる機能を持たない者(産む性からの逸脱)」をも考えねばならない。「女性の視点」そのものが、一つのようでいて、多様にならざるを得なくなってくる。そこから来る曖昧さが、「女性」と「母性」との関係のそれでも現れてくる。女性を「母」「産む」「いのち」というキーワードで捉える以上、その曖昧さからは逃れられないだろう。さらにそしてそれは、今の多くの「女性と○○」を語る際の、切れ味の悪さにつながっている。

 「母性」より広い「女性」を考えるということでは、岡田黎子の女学生動員の記録や、関千枝子の二本のレポート(補論「『白い閃光 黒い雨』について」を含めて三本)は興味深かったし、堀場清子の文中に触れられている、助産婦らを動員して行われた遺伝調査の実態(調査結果というよりその過程)については、もっと踏み込まれ、広く問題にされるべきだろう。戦後、被爆した女性一人ひとりがどのように生きたか、生きねばならなかったか。「母性神話」から脱却できなかった者、脱却していった者、あるいは脱却せざるを得なかった者をも含めて、彼女らをとりまく戦後社会そのものが、検証されなくてはならない。被爆後五一年を経てなお、語られ、開かれ、掘り下げられなければならないことの多さを感じる。

 そのような意味でも私には、被爆体験を持ち、あるいは間接的に関わり続けた女性達の生き方の方が印象に残った。「被爆」と一口に言いながらも、その多様性とでもいうのか、大きなくくりでは「同じ体験」でありながら、生活の場所、年齢、家族たち……、状況によってまるで違う体験であるという、当たり前の不思議さがそこにはある。取り上げられた三人の文学者はもちろん、この本の著者や彼女らをとりまく人々の人生そのものが、「女性と原爆」というテーマを表しているようにも思う。具体的な、生の体験というものの強みなのだろうか。その個別の体験を、社会的な状況、特に被爆者、あるいは女性になされた政策と付け合わせていくことによって、「女性と原爆」の実像が見えてくるのだろう。また、そうして一人ひとりの具体的な生き死にを明らかにしていく作業を通して、数値ではない、原爆被害の実相を描き出すことができるのではないか。そのことは、この本の主題からは多少ずれるが、虐殺と虐殺を数で置き換えて相殺していくような論理や、全ての「戦死者」をひとくくりにしていく論理に対抗する力となるだろう。

初出:「月刊フォーラム」1996年11月号
 
【補】わー、もう10年も前の原稿かい。とはいえ、余り自分でその後の進歩を感じないような=つまり言っていることに変わりがないような気がするのはいいんだか悪いんだか(笑)。年を取って、「フェミニスト」とはますます距離が開いていったとはいえる。この「女性と○○」については厳しくなったな、我ながら。この頃から私は、一人ひとりの人生というものに、とりわけその選択に興味を持っている。ほんの一瞬の選択が大きく人生を変えてしまう。それが極端に現れるのが戦争という現場なのかも知れない。

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