田口裕史著 樹花舎/1996年8月/1500円+税
「非道な事実そのもの」に真面目に向き合う本
「田口さんはまじめだなぁ」。嫌みでなく、素直にそう思った。この本の中でも幾人かが漏らしているが、私もまた、「戦争責任をうやむやのままにしているということにおいて戦後責任を負っている」と単純に割り切ろうとし、そうすることによって戦争責任と自分との直接の関係を問うことを保留し続けてきたクチだったから、彼の、戦争責任と真っ向から向かい合い、解きあかそうとする姿勢に素直に感心してしまったのだ。
本書は1963年生まれの著者が、「戦後世代」にとって「戦争責任」とはどのようなものなのか、罪と責任について、謝罪と反省について、「責任」という概念自体の分類・整理をしながら緻密に論じたものである。ちょっと理論的過ぎるかな、と思うところもないではなかったが、戦後補償運動を担うなかで直面する様々な問いかけに対して、いわば「走りながら考えた」これらのことは、いくつもの手がかりを含んでいる。
著者は「戦後世代」を「私とその同世代およびそれ以降の人間」と定義づけている。一般的に使われている範囲設定ではない。しかし、「はじめに」の冒頭に書かれている文章で、著者と同世代の私には腑に落ちるものがあった。
「子どもの頃の私にとって、戦争とは、映画やテレビ画面の中に存在するものでしかなかった。ベトナム戦争に関わる記憶も、かすかに残ってはいるが、とうてい『自分のこと』であったとは言えない。/だから私は、同世代の多くと同じように、戦争から遠く離れて生まれて育っている」
かつて「戦争を知らない子どもたち」を歌った世代(全部とはいえないまでも)はリアルタイムのベトナム戦争と向かい合った。けれど、「戦後の混乱」もGHQも朝鮮戦争もベトナム戦争も「自分のこと」ではなかった世代の「戦争」というもの——「アジア・太平洋戦争」だけではなく一般名詞の戦争をも含めた——との距離感を、著者の定義は表しているように思う。この距離感から派生するものは様々だ。本書の冒頭で検討される高市早苗議員の発言も、現在論議されている藤原信勝の「自由主義史観」なるものも、それと無縁ではない。藤岡自身は戦中生まれであり、その支持者も「戦後世代」ばかりではないが、彼の「日本人であることに誇りを持てるような教育を」という主張とその根拠とする若者たちの姿は、そこを突いている。
この「戦後世代」たちは、直接の戦争の当事者でなく、被害の経験すら持たないゆえに、日本のおかした(戦争)犯罪を認め、追及していくことができる、と可能性を込めて言われたこともあった。同時に、藤岡式に言えば自国の歴史に誇りを持てずにしょぼくれている若者でもある。私の実感では「戦争だから仕方ないじゃん」と「見るとかわいそうだから見ないの」とが双璧だ。どっちみち「他人事」でしかない。
藤岡は、日本近現代史の前に後込みする人々に、歴史の臭いものにふたをし、明治期の評価を「修正」することで、「日本人としての誇り」を取り戻そうと言う。昨年末、著者を招いて行なわれた討論集会でも、「日本人としての連続性」は論点のひとつとなった。田口は「罪」と「責任」、本書で言えば「罪に近い責任」=直接の行為と「義務に近い責任」=主権者としての責任とを整理し、議論を明確化している。そして「反省」を「その過ちがどうして行なわれたのかを検証し、繰り返さないための方法を探る」(実際にはもっと細かく定義づけられているが、うんと端折っていえば)と定義づけ、「謝罪」と区別することによって、自ら(と「戦後世代」)に引き寄せている。また「日本人だから罪がある」式の論議、その裏返しである「戦後補償によって日本人としての誇りを」という論議に対しては、民族主義の落とし穴に陥る可能性を指摘する。その上で彼自身は、戦争責任があろうがなかろうが「行なわれたことが非道だから責任を担う」ことを根拠とし、人間として「非道な事実そのもの」に向き合い、それを自らのこととして「反省」していく方法を探ろうとする。その作業は、藤岡の言う「自虐」とは全く反対のものである。
本書を書いている時点で、著者に「自由主義史観」なるものへの明確な意識があったかどうかは、時間的にいってわからない。が、意識的にかどうかはともかく、それを撃ち崩すための様々な示唆が、本書には盛り込まれている。今回、全く偶然に藤岡の著書と平行して本書を読み返しながらそう思った。
また、運動とは関わりのない同世代の友人と話すときに私が時折感じるいらだちめいたものと、ある種同質な感情を著者も持ったことがあったのだろうと思わせる箇所もいくつかあった。本書全体が、「戦後世代」の持つ戦争あるいは「戦争責任」との距離感、さらにはささやかな異議申し立てを含めた「運動」との距離感を埋める試みともいえるのではないだろうか。
本書の後半には、彼が実際に関わっている朝鮮人BC級戦犯を支える運動の中での体験、当事者の人々や韓国の若者との交流、「戦後50年」の年にイギリス、ドイツを訪れた際の報告などが載せられており、どちらも「戦争責任」を考えるうえでの手がかりとなる。巻末にはテーマ別のブックガイドがあり、結構便利だ。
蛇足ながら、本書の出版後、さる新聞で田口と高市の公開往復書簡が企画され、実際に何度か書簡のやりとりがあったそうだ。残念ながら企画自体がボツになったそうだが、これもぜひ読みたい。
初出:「月刊フォーラム」1997年4月号
【補】最近のいろいろをみるにつけ、今こそこの本が必要なんでないかい? と思って取り急ぎ、アップしました。田口さんのサイトもなかなか資料充実です。藤岡本人は最近聞かないけど、自由主義史観グループは、今度は「沖縄の集団自決はまぼろしだった」とか相変わらず元気にやってるし。
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